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小津神社
おづじんじゃ
滋賀県守山市杉江町495
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式内社 近江國野洲郡 小津神社 |
滋賀県守山市にある。
守山駅の北西5Kmほどの杉江町に鎮座。
新守山川の北側、26号線の交差点に参道入口があり、
鳥居と「小津神社」と刻まれた社号標が建っている。
広い参道を北西に数十m進むと
左手に当社の三之宮の本殿がポツンと鎮座。
市指定の文化財になっているらしい。
参道を右手(北東)に曲がって、さらに進むと砂利の広い境内。
境内の中央部に拝殿があり、
拝殿の後方、垣の中に国指定重要文化財の
流造桧皮葺三間社の美しい本殿がある。
参拝は年末の休日の朝。
境内は無人で、広いひっそりとしていたが清々しい雰囲気。
京都の神社とも奈良の神社とも違う古都の趣が感じられる神社だった。
創祀年代は不詳。
社伝によると、日本武尊の孫小津君が当地を開拓し
その子孫が、その志を継いで、祖神を祀ったのが当社の起源。
その後、允恭天皇の皇妃玉津姫命の願いにより
大宅臣木事連に命じて、宇賀之御魂命(大宮)を祀り主神と仰ぎ、
さらに素盞鳴尊(二之宮)、大市姫命(三之宮)に祀ったのが
現在の小津神社であるらしい。
式内社・小津神社に比定されている古社だが、
社伝によると欽明天皇二十八年、洪水により琵琶湖に流出。
社殿の復興を祝った祭が、現在、無形民俗文化財に指定されている長刀踊。
文正・応仁の乱の兵火にかかり焼失したが
佐々木近江守高頼によって再建。
本殿は永正二年兵乱によって炎上したが、
山門の僧実観明舜房が十八年の歳月をかけて再建したのが
現在の本殿であるという。
その後、神宮寺であった智泉寺の社僧によって諸祭義が営まれていたが
廃寺となり、現在、境内に護摩堂のみが残っているらしい。
広い参道に三之宮が鎮座しており、境内にも幾つかの境内社が祀られている。
『滋賀県神社誌』には、境内社として、
二之宮社、三之宮社、地主神社、市杵島姫神社、
稲荷神社、金刀比羅神社、天満神社、龍神社、杉神社の名があり、
境外社として、
熊野神社、八幡神社、欲賀神社、岩崎神社、光治神社、天満神社、
小津若宮神社、天満宮、若宮神社、二宮神社の名が載っている。
参拝時に確認できたのは、参道脇の三之宮と、
境内右手に並ぶ稲荷、金刀比羅、天満、市杵島姫社のみ。
本殿の隣は二之宮だと思うが未確認。
また、垣の右手の社名の分からなかった境内社があるが
これが地主神社だろうか。
地主神社は境内の中央にあり、氏子らは
特に「小津さま」と呼んで崇敬し、
本殿の大宮についで大切にしているという。
よって、宇賀之御魂命勧請以前の本来の小津神社は、
この社だと考えられている。
参道入口 | 参道脇の三之宮 |
境内 |
拝殿 |
玉垣 | 拝殿 |
本殿 |
本殿 | 本殿 |
本殿右脇の境内社、二之宮か? | 市杵島姫神社(弁財天) |
境内社 |
地主神社か? | 稲荷社 |
金刀比羅社 | 天満宮 |
由緒
景行天皇の皇子日本武尊の御孫小津
君を開拓の祖神としてまつったのが創
始で後允恭天皇の皇妃玉津姫命のお願
いによって宇賀之御魂命を主神として
氏神と仰ぎ延喜式内の名社として武門
名将の信仰も厚く現在に至っている。神像
木造 宇賀之御魂命座像は平安時代
中期の作で我国神像彫刻として最古の
様式を示し国指定の重要文化財である。本殿
木造桧皮葺三間社流造大永六年(室町
時代)の建造物として彫刻の美は、よく
当時をしのぶことができ国指定の重要
文化財である。長刀踊
毎年五月五日の古式祭長刀踊は欽明
天皇の頃洪水により湖中へ流出した神
殿を再び現在の地へ迎えた氏子の喜び
を長刀踊として今に伝え国の無形民俗
文化財に選択されている。−境内由緒碑− |