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下新川神社
しもにいかわじんじゃ
滋賀県守山市幸津川町1356
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式内社 近江國野洲郡 下新川神社 |
滋賀県守山市にある。
野洲川の河口部から1Kmほどの幸津川町に鎮座。
守山市役所中洲支所の側に境内がある。
境内入口は、477号線に面して南西向き。
境内の向かいの歩道脇に「舟着場跡」という石碑が建っていた。
当社祭神・豊城入彦命が丸太のイカダに乗って
琵琶湖を渡ってきたという伝承があるらしいが
そのイカダが着いた場所だろうか。
社前の石橋の奥に鳥居が建っており、
きれいに整備された砂利の参道が北東へ延びている。
参拝は年末の休日、曇天の早朝で、やや暗かったが、
晴天の日なら綺麗な写真が撮れたかもしれない、
などを考えながら参道を歩く。
参道途中には「祓戸大神」と刻まれた石碑があり、
参道脇の林の中に、境内社が祀られている。
参道の突き当たりに倉があり、左手へ曲がると社殿。
ということで、社殿の向きは南東向き。
境内中央に、入母屋造の大きな拝殿があり、
拝殿の後方、少し離れて垣に囲まれた本殿がある。
垣の前に「神使おしどり」と刻まれた石柱があり
上に鴛鴦の彫刻が乗っていた。
垣の中の本殿は、覆屋根の中。
創祀年代は不詳。
社伝によると霊亀元年、豊城入彦命が小祠を建立したのが起源。
「三代実録」に、仁和元年九月正五位上を授けられたとあり
式内社・下新川神社に比定されている古社。
現在の主祭神は、豊城入彦命と小楯姫命だが、
一説には、大新川命と小楯姫命。あるいは新川小楯姫命。
豊城入彦命が祀った司水神(新川小楯姫命)が、本来の祭神なのだろう。
明治になって村社に列したが、明治十八年郷社に昇格。
昭和六年、式内社として県社に昇格した。
境内には「明治天皇遥拝所」や「神武天皇遥拝所」の石碑が建っている。
境内社は、参道左手の林の中に一社。境内左手の池の中に一社。境内右手に四社。
合計六社を確認できたが、残念ながら詳細は分からない。
由緒書には、愛宕神社、鹿島神社、白山神社、龍神社、牛神社の名前が記され
『平成祭データ』には、中洲護国社の名も載っていた。
推測すると、池の中が龍神社。参道脇が牛神社。
境内右手の少し大きな社が愛宕社。その右手の二社が鹿島神社と白山神社。
その右の新しい石祠が中洲護国社だと思うのだが、あくまでも「推測」。
当社の神紋に関して。
社殿の屋根に三つ巴紋があり、『滋賀県神社誌』にも左三ツ巴とある。
ただ、由緒書には「左三ツ巴・鴛鴦」と書かれていたのだが
神使の鴛鴦も神紋として使用しているのだろうか。
境内向いに舟着場跡 | 社頭 |
境内入口 |
鳥居 | 参道、祓戸大神の石碑 |
境内 |
中門と本殿 | 拝殿 |
神使おしどり | 神使おしどり |
本殿 |
参道の境内社 | 境内右手の境内社 |
池の中にも境内社 |
明治天皇遥拝所 | 神武天皇遥拝所 |
下新川神社(シモニイカワ)由緒略記
−参道由緒書− |