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笶原神社
やはらじんじゃ
兵庫県南あわじ市八木徳野59−1
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式内社 淡路國三原郡 笶原神社 |
淡路島の南あわじ市(旧三原町)にある。
南あわじ市三原支所の北東2Kmほどの笶原に鎮座。
(平成十五年の合併で、三原町が南あわじ市となり、
八木笶原徳野という町名は、八木徳野になってしまった。
歴史が消えた瞬間だ。)
境内入口に、「矢原大明神」と扁額を掲げた鳥居が立ち、
境内はゲートボール場になっており、
その奥に、社殿が一つ。
笶原徳野には、笶原神社が二社存在し、
当社が西宮、もうひとつが東宮。
当社の位置が地図に載っておらず、
周囲の小道を、車でグルグルと走りまわって探し、
諦めかけた頃に、それらしき森を発見。
当社の社名について。
『平成祭データ』では、「笑原神社 えはらじんじゃ」と書かれていた。
未確認だが、『兵庫県神社誌』でも同様らしい。
ただ、地名は「笶原」で、式内の記載も笶原だから、
明らかに誤記だと思われ、「笶原 やはら」が正しい社名。
創祀年代は不詳。
『淡路国大田文』に「笶原宮一所」と記されているらしく、
現在は、東西の二社だが、鎌倉時代までは一社だったようだ。
この笶原神社が、いつ頃東西に分かれたものか。
どちらが先に存在していたか。
どちらが式内社であるのか。
『式内社調査報告』によると、
『淡路常磐草』には、「東宮明神といふ。西宮に対して云也」、
『淡路草』に、「野原神社二社あり。小き方(西宮のこと)を正とす。」
とあり、西宮を元社とする説が幾つかあるらしい。
『八木村誌』によると、
明治六年に、東宮が村社の指定を受けた頃、
西宮は東宮に合祀されたとか、されていないとか。
本殿の屋根に、橘の紋様が付いていた。
社殿の右手に、コンクリートで囲まれた祠が3つ。
社名を見ると、若宮神社・対馬神社・金比羅神社。
対馬神社がどうしてここに祀られているのだろうか。
「津嶋」の間違いだろうか。
鳥居 | 社殿 |
社殿 |
金比羅神社 | 若宮神社・対馬神社 |
本殿 |