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荒木神社
あらきじんじゃ
京都府福知山市堀字荒木山152−2
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式内社 丹波國天田郡 荒木神社 |
京都府福知山市にある。
福知山駅の南3Kmほどの堀に鎮座。
地図には「荒木」と記されているが、
資料の住所は堀字荒木山となっていた。
正確には、
室山(親不知、605m)の前山である
荒木山(432m)の北東麓(標高180m)に鎮座。
僕は土師川の方から回り込んだので、
福知山駅からのルートは、ちょっと説明しにくい。
とりあえず、ランドマークとして紅葉丘病院を目指す。
土師川から、その紅葉丘病院を行き過ぎて300mほどの地点から
南西へ入り、500〜600mほどの場所に参道入口がある。
参道入口から少し上ると「式内荒木神社」と刻まれた社号標。
参道は山道で、地図で見ると200mほどの距離。
参拝当日は真夏の盛りだったが
参道脇の木々のおかげで、陽射しもなく、雑草もなく
ハイキング気分でしばらく歩くと、
参道中ほどに、数段の階段と鳥居。
鳥居をくぐり、さらに参道を進むと境内へ上る階段がある。
階段の左手に小さな池があり、中央に境内社の祠が一つ。
階段の右手には手水鉢。
階段を上ると社殿のある広い境内。
境内中央に、入母屋造の拝殿があり、後方に流造の本殿。
境内左手に、境内社の祠が2つ。
境内右手にも境内社の祠。
創祀年代は不詳。
昔の俗称は「十二所権現」、近代の通称は「荒木の権現ざん」。
背後の荒木山を神奈備山(神並山)とし、祭神は、天津神。
古称として「十二所権現」とあり、天神七代・地神五代を祀るとする説や
素盞嗚尊を祀るとする説、建荒木神を祀るとする説などがある。
『三代実録』の貞観元年(859)五月の條に、
「四日己未丹波國荒木神列二官社一」とある古社で、
式内社・荒木神社に比定されている。
長元九年(1036)七月十日、後朱雀天皇即位の際の大嘗会の神遊歌に
藤原義忠が、丹波國神並山を詠んで
「常陸なる神なひ山の榊葉を指してぞ祈る万代のため」という歌がある。
また、壽永元年(1182)安徳天皇即位の時、
中納言兼光の詠んだ神楽歌に
「みしま木綿かたに取掛け神なひの山の賢木(さかき)をかざしにぞする」
という歌がある。
これらの榊(さかき)に関する歌があるように「榊の宮」とも記された神社。
中世には兵火にかかり神宮寺ともども焼失したが、
寛文年中、福地山藩寺社奉行・中目権兵衛盛治によって再興されたという。
福知山城主松平忠房に崇敬され、
領内の以下の五社を選定し、「五社参り」として領民に巡拝させたという。
(当社荒木神社、堀の一宮神社、今安の天照玉命神社、中村の庵我神社、前田の愛宕神社)
社宝に「ヒヨシの玉」というものがあり、
使用方法は不明だが、祭祀用の笛だとする説がある。
境内の右手に、山へ登る階段があり、
その階段脇にも祠が一つある。
で、その階段の先に関して。
このように境内脇に階段がある場合、
通常なら、僕は無意識に登ってしまうのだが、
その祠の先がどうなっていたのか、全く記憶がない。
ひょっとすると、階段は祠までで。その先が無かったのか、
あるいは、暑さのために、朦朧としていたためか、
それとも、参拝しながら、いろいろと考え事をしていたためか、
とにかく記憶がないし、写真も撮ってないのだ。
参道入口 | 参道 |
参道の鳥居 |
さらに参道 | そして境内へ |
境内 |
境内社殿 | 本殿 |
境内左手の境内社 | 右手の境内社 |
参道の小池の境内社 | 境内右手、上方にも境内社 |
荒木神社由来記
俗に「荒木の権現さん」と敬愛される当社は、延
喜式内社として名高く(延喜式とは貞観元年−八五
九年−に日本国内の神社を調べたと「日本三代実録
」にあり)。また背景の山を神奈備山とも呼ばれて(
神並山・神南山)と親しまれたが、中古この山に真
言宗の寺院を建立当時三十か寺と伝えられ、天神七
代・地神五代を十二所権現として栄えた。その後、室町末期には仁木義尹が荒木一学と策し て篭城し、細川・内藤・波多野らと戦い、また永禄 元年−一五五八−荒木勢と丹波の赤井悪右衛門との 戦いで度々兵火にかかり、神殿や寺坊を全焼した。 その後、徳川時代に−寛文九年−一六六九−福地 山藩の寺社奉行、中目権兵衛盛治が朽木稙昌候に従 い土浦から赴任した際に古記を調べて荒木神社を再 興した。また拝殿は昭和七年に再建された。 例祭は四月十六日である。 常盤なる神なび山の榊葉を さしてぞ祈るよろずよの為 と藤原義忠は千載集−一〇三六−に詠んでいるが、 後朱雀天皇即位大嘗会の際神遊歌として有名である。 −参道案内板− 荒木神社御由緒
延喜内社 田村社丹波誌天正年中兵火に懸り焼失す云々其の後久しく廃される寛文年中福知山藩士中目権兵衛盛治と云ふ人古記を考へ再興すると云ふ。天津神座故に神並山と云ふ。 後朱雀院長元九年大嘗会神遨の歌 丹波国神並山詠 ・常磐なる神なひ山の榊葉をさして祈る万代の為 安徳天皇寿永元年大嘗会神楽の歌 ・みしま木綿かたに取掛神なひの山賢木をかさにそする(権中納言兼光) ニ首とも千載集に見へたり 勧請年紀不詳 貞観元年五月四日荒木神社宮社に列すると三代実録にあり −『平成祭データ』− |