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白峯神宮
しらみねじんぐう
京都府京都市上京区飛鳥井町261
瀬を早み岩にせかるる滝川の別れても末に逢はむとぞ思ふ 崇徳天皇
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旧官幣大社 |
堀川今出川にある。
市街地ながら、境内は静かで広い。
境内の地主社の祭神・精大明神が蹴鞠の神様ということで、サッカーに御利益。
慶応2年、孝明天皇が、当神宮の創建を幕府に命じたが、崩御。
その後、その子・明治天皇が、父帝の意志を継ぎ、社地を公卿飛鳥井家邸地に定め、
飛鳥井家邸内社を地主社とし、讃岐から崇徳天皇の神霊を迎えて神宮に鎮祭。
崇徳天皇は、「雨月物語」にも怨霊として登場する悲運の天皇。
保元の乱(1156)で、讃岐に流され、崩御。白峰山稜に奉葬された。
崇徳天皇は、名目上は、鳥羽天皇の長子だが、
実際は、白河法皇(鳥羽天皇の祖父)と、待賢門院璋子との間の子。
鳥羽天皇から見れば、叔父にあたるため、疎んじ、
自分の子・近衛天皇を崇徳天皇の養子にした。
淳仁天皇は、天武天皇の孫。
藤原仲麻呂の乱で連座、淡路島に流罪された天皇。
「淳仁天皇」は明治になっての諡号で、
それまでは、廃帝・淡路公などと呼ばれていた。
今出川通りに面した南向きの門から境内に入ると。
境内の東側には、境内社が並んでいる。
地主社が、蹴鞠の神様で、サッカーの守護神だ。
鳥居 |
門から境内 |
拝殿 | 地主社 南御前:柊大明神、糸元大明神 中御前:精大明神 北御前:今宮大神、白峯天神 |
潜龍社 白峯大龍王・紅峯大龍王・紫峯大龍王 | 伴緒社 源為義・源為朝 |
白峯神宮 京都市上京区今出川掘川東入ル。旧官幣大社(現、別表神社)。
祭神は崇徳天皇(第七五代)・淳仁天皇(第四七代)。
崇徳上皇は保元の乱(保元元年<一一五六>)により讃岐国に配流、長寛二年(一一六四)
府中村鼓ケ岡木丸殿にて崩御、白峯山陵(現、坂出市松山)に葬られた。
幕末に至り、孝明天皇は崇徳帝の皇霊を京都に迎えて慰め奉らんと、
慶応二年(一八六六)御所に近い現社地に社殿造立の工を起こされたが、
未完成のうちに崩御された。明治天皇は先皇の御意志を継承され、
明治元年(一八六八)八月神殿の竣工とともに白峯宮と名づけ、
皇霊奉迎の勅便を白峯山陵に遣わされた。翌九月崇徳天皇の御霊は高松・丸亀両藩の
道中警護のもと当社に還幸・鎮座された。
同六年六月官幣中社に列す。また淳仁天皇は藤原仲麻呂(恵美押勝)の反乱に連座して
退位、淡路に流されて天平神護元年(七六五)同島三原郡で崩御された。
同三年藩主蜂須賀茂韶は悲運に遭われた淳仁天皇の御霊を京都に奉遷・追祭すべきとの建白を行った。
同六年九月、奉迎の勅使が淡路山陵に遣わされ、一二月、京都・大阪府及び名東県と陸軍省の先導・警衛のもと
当社に合祀された。昭和一五年、天皇の神霊を祀る神社をもって白峯神宮と神宮号を宣下され、
同時に官幣大社に昇格した。例祭九月二一日(崇徳天皇)、四月一四日(淳仁夫皇)。
待殊神事に蹴鞠(一月四日)・御弓神事(一一月一五日)・御火焚祭(一一月二一日)などがある。
香川県坂出市西庄町弥蘇場にも崇徳天皇を祀る白峯宮がある。俗に天皇さんと称され、
明治五年県社に列せらている。社記によれば、崇徳天皇崩御せられ京都へ秦上の間、
その王棺を当社境内にある野沢井の水上に安置、殯の宮にあてた。二条天皇はこの霊
跡に社殿の造営を宣下され、長寛二年(一一六四)一○月一○日創立されたのが当社だと
伝える。例祭一○月一日。
−『神社辞典』− |
【 白峯神宮 】