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天満神社
てんまんじんじゃ
奈良県橿原市太田市町225
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橿原市太田市町にある。
橿原市と桜井市、田原本町のちょうど真中あたり。
東向きの境内に社殿。
その後ろに、真っ赤な本殿が建つ。
本殿は新しいか、塗りなおしたか。鮮やかな朱色に金の「梅鉢」が美しい。
創祀年代は不詳。
式内社・目原坐高御魂神社の論社となっている。
目原坐高御魂神社だとすると、多神社の別宮として
成務天皇五年、神託によって創祀されたとも伝えられている。
当社の近くに「真目原」という禁足地があり、
入ると、足にマメができるという伝承が残っているらしい。
が、今は公民館になっているとか。
鳥居 | 拝殿 |
本殿 |
拝殿から本殿 | 境内社 |
天満神社 太田市集落北東に鎮座。高御魂神・神産日命・ 菅原道真を祀る。旧村社。もと菅原道真を祀っ たが、「延喜式」神名帳十市郡の「目原坐高御魂 神社二座並大、月次新嘗」に比定され(大和志)、祭神 を追加した。神社の前で南北から東西へ曲流す る小川を俗に目原川と称し、社前には真目原と いう禁足地の小丘があった(磯城郡誌)。式内目 原坐高御魂神社は「日本書紀」顕宗天皇三年四 月五日条に「日神、人に著りて、阿閉臣事代に 謂りて曰はく、「磐余の田を以て、我が祖高皇産霊に献れ」とのたまふ。事代、便ち奉す。神 の乞の依に田十四町を献る。対馬下県直、祠に 侍ふ」とみえる高皇産霊神の社で(日本書紀通釈)、 天平二年(七三〇)神戸の租稲二七一束のうち四 束が祭神料にあてられ(大倭国正税帳)、大同元年 (八〇六)には「目原二神」に大和国内で神封が寄 せられた(新抄格勅符抄)。天安三年(八五九)一月 二七日、従五位下より従五位上に昇叙(三代実録)。 なお「五郡神社記」では式内目原坐高御魂神社は 木原村(現橿原市)にあり、高皇産霊神・天万栲幡姫を祀るとする。 −『大和・紀伊 寺院神社事典』− |
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