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住吉大伴神社
すみよしおおともじんじゃ
京都府京都市右京区龍安寺住吉町1
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式内論社 山城國葛野郡 伴氏神社 大 月次新嘗 |
京都市右京区にある。
石庭で有名な竜安寺のそば、御室から衣笠へ抜ける道の曲がり角奥に鎮座。
カーブした道路から少し南に入ると境内入口がある。
境内中央に、木があり、奥の一段高い所に朱の拝殿。
拝殿奥には住吉造の本殿がある。
創祀年代は不詳。
式内社・伴氏神社の論社。
中世以降、「住吉社」と呼ばれ、社殿様式や祭神も住吉であり、
大伴社と称したことはないのだが、式内社・伴氏神社に比定されたため、
昭和になって、社名を住吉大伴社と改名したようだ。
『山城志』には、「在二龍安寺村一、今稱二住吉一」とある。
拝殿 | 拝殿 |
本殿 |
境内中央の木 | 斉明社・小松尾神社 | 十禅師社 |
龍安寺の南西、仁和寺との中間に位置する。
大伴氏の氏神である伴氏神社に、大伴氏衰退後
藤原一門である徳大寺家が住吉神を勧請したた
め住吉大伴神社とよぱれた。「続日本後紀」承和
元年(八三四)正月一九日条に「山城国葛野郡上林
郷地方一町賜二伴宿禰等一、為下祭二氏神一処上」と記
されるが、これが伴氏神社の始まりと考えられ
る。「延喜式」神名帳に載る葛野郡「伴氏神社大月
次新嘗」にあたる。大伴氏の氏神社が伴氏神社と
称されたのは、平安初期淳和天皇の諱が大伴で
あったことから、その名をはぱかって伴氏と改
称したためである。大伴氏は奈良時代物部氏と
並ぶ武門の氏族で、平安遷都後この地に移住し
たものと考えられる。しかし貞観八年(八六六)
伴善男が応天門の変の結果、放火の罪をきせら
れ伊豆に流され、伴氏の勢力は凋落の一途をた
どり、伴氏神社の祭祀もいつしか廃絶する。 平安末当地一帯は藤原一門の地となり、左大 臣藤原(徳大寺)実能は山荘を営み、以後この地 を伝領する。本来大伴氏の氏神であった当社も 徳大寺家が和歌の神である住吉・玉津島坤の二神、 とりわけ住吉神を奉祀するようになり住吉神社 と称せられるようになる。なお玉津島神も同時 に祀られたらしく、神社の隣接地の現町名に玉 津柴町の名が残る。以来住吉社の名でよばれて きたが、昭和一七年(一九四二)に前身の式内社 伴氏神社の称を加えて現社名に改称。竜安寺・ 谷日両地域一帯の産土神とされている。 −『京都・山城 寺院神社大事典』− |
【 住吉大伴神社 】