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湊川神社
みなとがわじんじゃ
兵庫県神戸市中央区多聞通
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旧別格官幣社 |
JR神戸駅前にある。
境内入口は28号線に面して南向き。
大きな表門と大きな社号標が目印。
表門をくぐって参道を直進するとコンクリート造の社殿。
明治五年、素木造の社殿が建てられたが
戦災によって焼失したため、昭和二十七年に再建されたもの。
境内奥は、延元元年(1336)楠木正成公の戦歿の地。
国指定文化財史蹟になっている。
また、境内右手には楠木正成公の墓があり、
水戸光圀建立の墓碑が建っている。
明治元年(1868)明治天皇の勅によって創祀された神社。
もともと当地は、楠木正成公一族の終焉の地であった。
水戸光圀が、その荒廃を嘆き、元禄五年(1692)、
「鳴呼忠臣楠子之墓」と自書した墓碑を立てた菩提所であった。
墓碑は亀の背に乗っているが、
この亀は、正確には亀に似た伝説上の生物「贔屓」。
龍の子で、重たいものを背負うことが好きな生物。
「贔屓する」の語源。
境内は広い。門右横に祭神楠木正成公の墓がある。
摂社甘南備神社(大楠公夫人)は神職の話では本殿に合祀。
末社は、参道右手の楠本稲荷神社と、拝殿右手の菊水天満神社がある。
神紋の菊水だが、やや変形した形になっている。
境内入口の表門 |
参道の鳥居 | 手水舎 |
境内と社殿 | 社殿 |
社殿 |
楠本稲荷神社 | 拝殿右に菊水天満神社 |
拝殿左奥に楠木正成公戦歿地 |
楠木正成公の墓 | 水戸光圀建立の墓碑 |
墓碑の拓本(表) | 水戸光圀像 | 墓碑の拓本(裏) |
湊川神社 兵庫県神戸市生田区多聞通。 旧別格官幣社(現、別表神社)。祭神は主祭神として贈正一位橘朝臣正成公(大楠公)を祀り、大楠公夫人・正行卿・正季卿以下一族殉難将士の霊を配祀している。当社は明治元年(一八六八)明治天皇の創祀御沙汰書をいただき、同五年現在地に鎮座された。当鎮座地は、延元元年(一三三六)大楠公が弟正季卿ほか一族とともに七生報国をちかいつつ殉節された遺跡であり、本殿背後の境内地はその御遺骸を埋葬した聖地で、梅と松二株が植えられてあったが、元禄五年(一六九二)徳川光圀が、その遺跡の荒廃しているさまを歎き「鳴呼忠臣楠氏之墓」と自書した墓碑を立て、裏面には明人朱舜水撰による讃詩を刻したことは有名である、社殿は明治五年素木造の本拝殿が建てられていたが、戦災にて惜しくも焼失したため、昭和二七年鉄筋造をもって再建した。祭日は七月二一日の例祭のほか、御鎮座記念日である五月二五日には神幸祭が行われ、その昔、湊川の戦に殉難した一族一六将を擬した騎馬武者行列が市中に繰り出される。宝物に、正成公着用と伝えられている段縅腹巻一領(重文)また建武二年(一三三五)八月二五日正成公卿自筆の法華経奥書一幅(重文)があるほか大楠公ゆかりの文化財が境内に設けられた宝物館に収められている。 −『神社辞典』− 医王山広厳宝勝(奉聖)禅寺 坂本村(神戸市中央区楠町)にある。楠判官正成の菩提所で、正成の影像と一代の記がある。近所(中央区多聞通)に正成の石塔がある〔兵庫町より北五丁ばかり〕。元禄四年(一六九一)、水戸黄門光国(光圀)卿が造り改め、碑銘を作らせた。 −『和漢三才図会』− |
【 湊川神社 】