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韓國神社
からくにじんじゃ
兵庫県豊岡市城崎町飯谷字落シケ谷250−1
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式内社 但馬國城崎郡 物部神社 |
兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・城崎温泉駅の東2Kmほどの飯谷に鎮座。
9号線を進み、円山川にかかる城崎大橋を渡る。
地図で位置を確認すると、9号線の側にあるように見えたので、
9号線を道なりに進み飯谷峠を越えたが見当らず。
引き返して、円山川の支流であり
楽々浦へ流れる飯谷川に沿って、9号線から南に逸れ
集落の中の道を奥へ進むが見当らず。
仕方がないので、飯谷集落の手前に車を止め、
集落の北東へ続く小道を探して到着。
小道の入口から、300mほど歩いただろうか。
飯谷峠へ向かう谷というか、そういう場所にある。
小道の参道を進むと、白い石の鳥居が見えてくる。
参道には大きな灯籠。鳥居の前には
「韓國神社」と刻まれた社号標。
苔生した参道を進むと正面に拝殿。
後方には本殿を納めた覆屋があるが
本殿は確認していない。
参拝は、五月の休日。雨上がりの午後。
雨後の蒸気というか、植物の発する
ムッとする空気が充満した境内だったが、
それは雨のせい。
物部神社とも、韓國神社とも
震旦国明神とも称された神社。
社伝によると、
武烈天皇の命を受けて
韓國(朝鮮)へ派遣された物部眞鳥(まとり)が
但馬の水戸(楽々浦)に着き、都へ報告に上った。
その功績によって、韓國連を賜わり、
以後、物部韓國連眞鳥と称した。
眞鳥の子・渚鳥(すとり)は
欽明天皇の頃、城崎郡司となり飯谷付近を開墾。
渚鳥は、名を墾麿と改め、
地名を墾谷とし、墾谷が針谷となり
現在の飯谷となったという。
墾麿(渚鳥)は、墾谷の丘に父・眞鳥を祀り
韓國神社と称したという。
天武天皇白鳳三年、墾麿の子である
物部韓國連鵠が、祖父(眞鳥)と父(墾麿)を当地に祀り
物部神社と称し、延喜の制小社に列した。
いつの頃からか、祭神が素盞嗚尊とされ
明治以降、韓國の社号となったという。
さすがにコウノトリの郷・豊岡市。
鳥に関連する名を持つ神々が登場する。
当初は、飯谷川の上流、
通称「森さん」と呼ばれる場所にあったが
その後、現在地から700m奥の宮ノ下へ遷座。
昭和二年三月七日、
奥丹後震災による山崩れにより社殿を全壊し。
現在のシケ谷へ移転新築された。
境内の左手に境内社の祠が3つ。
一番左の大きな祠は、扉が開いており
中に「養父神社」という名前が見えた。
他の二つは未確認だが、
『式内社調査報告』には境内社として稲荷神社が記されている。
境内入口 | 鳥居 |
境内 |
境内社3つ | 拝殿 |
社殿 |
本殿覆屋 | 拝殿 |