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勝手神社
かってじんじゃ
奈良県吉野郡吉野町吉野山2354
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式内社 大和國吉野郡 吉野山口神社 大 月次新嘗 (参考) |
奈良県の吉野町にある。
近鉄吉野線・吉野駅の南東1.5Kmの吉野山に鎮座。
旅館などが並ぶ15号線沿い、角地の石組の上に境内があり、
「静御前ゆかりの社」と書かれた案内がある。
参拝は、平成十六年(2004)二月だが、
当社は、平成十三年九月二十七日、不審火により焼失し、
参拝当日は、社殿の無い境内だった。
御神体は、近くにある吉水神社に仮遷座しており
御朱印も吉水神社でいただいた。
創祀年代は不詳。
日雄寺継統記によると、孝安天皇六年(紀元前三八六年)の創建。
吉野の山の入口に位置し、吉野水分神社に対して
山口神社とも称した神社。
『式内社調査報告』には、式内社・吉野山口神社の論社として
記載されていないが、吉野の山口神社と呼ばれた古社なので
参考に掲載しておく。
金峯山秘密伝に
「伝云、勝手大明神此多聞天王垂迹、
此仏法護持大将、国家鎮守首鎮也」とあり
吉野蔵王権現とともに、修験者の信仰が篤かった神社。
義経と別れた静御前が荒法師に捕えられた時、
当社境内で雅な法楽の舞をまったという伝説があり、
境内には舞塚がある。
また、大海人皇子(天武天皇)が、神前で琴を弾いたところ
背後の袖振山から天女が舞い降りて舞ったという伝説もあり
五節舞の起源であるという。
祭神は、天忍穂耳命・大山祇命・久久能智命・
木花佐久夜比咩命・苔蟲命・菅野比咩命の六柱。
『和州旧跡幽考』には、愛鬘命と記されている。
焼失した社殿は、
檜皮葺三間社流造で県の有形文化財だった。
社域 |
垣のみ |
勝手神社
吉野八社明神のひとつで、金峯山の山の入
口にあるので山口神社ともいいます。文治元年(一一八五)の暮れ、源義経と雪の吉 野山で涙ながらに別れた静御前は、従者の雑 色男に金銀を奪われ、山中をさ迷っていると ころを追手に捕えられて、この社殿の前で雅 た姿で法楽の舞をまい、居並ぶ荒法師たちを 感嘆させたとう話が伝えられています。 この神社の祭神は、大山祇神、木花咲耶姫命 ほか三神で、社殿は豊富秀頼が慶長九年(一 六〇四)に改修したのが、正保元年(一六四四)十 二月に焼亡したので、翌二年に再建され、さ らに明和四年(一七六七)にまたも焼失しました 現在の建物はこの後の再建になるものです。 社殿の後の山を袖振山といって、天智天皇 の十年(六七二)大友皇子に対抗して、吉野(今の宮滝か) に兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)が、この神 前で琴をかなでていると、天女が後ろの山の 上から袖をひるがえして舞いながら現れ、吉 兆を示しました。この故事が五節の舞の起り だといわれ、芸ごとに深いかかわりを持つ神 様とされて、かつては猿楽や能が盛んに奉納 されました。 −境内案内− |
【 勝手神社 (吉野) 】