[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
倭文神社
いもんじんじゃ
兵庫県朝来市生野町円山字下代201
|
||
式内社 但馬國朝來郡 倭文神社 |
兵庫県朝来市にある。
播但線・生野駅の北3Kmほどの生野町円山に鎮座。
播但連絡有料道路の生野北第2ランプのすぐ北に境内がある。
社前を川が流れており、赤い橋のさきに鳥居。
橋を渡り、鳥居をくぐると、左手に手水舎があり、
数段の階段を上ると社殿のある境内。
境内奥、参道の正面に瓦葺入母屋造の拝殿があり、
拝殿の後方に流造の本殿。
拝殿の扁額には「式内 倭文神社」と記されている。
拝殿の右手に、境内社・秋葉神社。
当社社号の倭文は「しどり」あるいは「しとり」と読むと思う。
資料や境内案内板にも「しどり」と書かれていた。
ただし、『平成祭データ』には「いもん」となっていた。
ひょっとしたら記載ミスなのかもしれないが、
個人的に意表をつかれて面白かったので、
とりあえず「いもん」としておいた。
創祀年代は不詳。
境内案内板には、和銅五年(712)の創建。
式内社・倭文神社に比定される古社で
近世には聖儒大明神、鮭ノ宮とも称された神社。
正徳三年(1713)社殿大破のため再建したところ
その遷宮の際に、鮭が円山川を遡上してきたことから
村人がこれを奇瑞として鮭の宮と呼んだという。
明治六年十月村社に列した。
旧社地は、円山集落の上手右岸の山麓にあり
塩田社と呼ばれて、いまも社殿が残っているという。
本殿の屋根に、左半分が五七桐、右半分が十六菊の
合わせ紋が付けられていた。
正式になんと呼ばれているのか分からないので
仮に「半桐半菊」としておく。
社頭、参道の橋と鳥居 |
拝殿 | 秋葉社 |
境内社殿 |
拝殿 | 本殿 |
式内社
式内社とは一〇世紀の初め、醍醐天皇(八九七―
九三〇)の御代に編纂されました延喜式神名帳に記
載されている由緒正しい、歴史の古い神社というこ
とです。但馬の国には一三一社あり、その内朝来郡には九 社あります。 生野町内ではこの倭文神社一社のみです。 倭文神社(通称 鮭の宮)
−境内案内板− 御由緒
創立年月不詳にして延喜式の制小社に列し町内円山字鹽谷に鎮座し中古同字下代に遷座せらる近世聖儒大明神、倭織大明神、鮭ノ宮とも称したり正徳三年社殿大破の為め再建し寛政十一年又之を再建せり明治六年十月村社に列し同十四年社殿を修造せり。−『平成祭データ』− |
『式内社調査報告』に、旧社地である塩田社の位置が
地図にマークされていたので行ってみた。
ところが、鳥居には「妙見宮」とあり、
社殿には「国常神社」と記された扁額があった。
社名を変えたんだろうかと、
参拝時には漠然と考えていたのだが、
どうやら違う社だったような気がする。
『式内社調査報告』には、時折、このようなミスや誤記があるので
参拝時に疑問に思った時は、ちゃんと歩き回って調べるべきだと反省した。
妙見宮(国常神社) | 妙見宮(国常神社) |