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枚岡神社
ひらおかじんじゃ
大阪府東大阪市出雲井町7−16
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式内社 河内國河内郡 枚岡神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗 |
大阪府東大阪市にある。奈良県との県境にも近い。
近鉄奈良線枚岡駅から、参道が東へ延びる。
駅のホームの横には「元春日平岡大社」の石碑。
駅から階段上り、道路を越えると鳥居。
参道を歩き、注連柱を越え、階段を登ると社殿がある。
社殿に向って右手には授与所。左に社務所。
拝殿後方、垣の中には、四棟並んだ朱の春日造の本殿がある。
生駒山の西麓にあり、ハイキングの起点。
多くのハイカーが、当社境内から出発する。
河内国一ノ宮。
社伝によれば、神武天皇紀元前三年、
天種子命が勅命により、神津嶽に天児屋根大神・比賣大神の二神を
祀ったのが、当社の創祀。
比賣大神は、天児屋根大神の后・天美豆玉照比咩大神とする説がある。
枚岡(あるいは平岡)の社名は、二神を神津嶽の磐境に祀ったからとも、
当社の鎮座する生駒山西側斜面の形状が幾重にも畳重なっているからとも。
後、孝徳天皇白雉元年(650)、山麓の現在地に遷座した。
稱徳天皇神護景雲二年(768)、当社祭神二神の分霊を
奈良春日大社へ奉斉し、故に、当社を「元春日」とも呼ぶ。
光仁天皇宝亀九年(778)、奈良春日大社の他の祭神二神
(齋主大神・武甕槌大神)の分霊を当社へ奉斉し、
祭神四座となった。
当社の特殊神事には、「粥占神事」が有名らしい。
また、神武東征の故事より発した平国祭が五月に行われる。
鳥居 | 参道 | 階段上に社殿 |
遥拝所(神津嶽の遥拝か) | 若宮社 | 参道階段 |
拝殿 | 中門 |
四棟並ぶ春日造本殿 |
−リーフレットより抜粋− |
境内の北側から神津嶽へ登るハイキングコースがある。
コースを道なりに登っていくと、大阪を見渡せる展望台に到着。
そこから、少し登った場所が神津嶽。
当社の本宮が鎮座している。
この辺りだったと思う。→
神津嶽の東側には道路があり、休憩所もあるので、
足腰に自信が無い人は、そちらから向うと良いだろう。
垣に囲まれた境内には、石碑と、まだ新しい石祠がある。
参拝を終え、来た道を引き返していたつもりが、
どこかで道を間違えたようで、来た時と違う風景の中を歩いた。
やや不安になったが、下れば大阪の何処かに着くだろうと、
どんどん下っていると、境内南の梅林に出た。
ハイキングコース | 神津嶽の森 | 神津嶽石碑 |
神津嶽本宮 |
石祠 | 石祠 | 石碑 |
此処は枚岡神社創祀の地
なり その昔 神武天皇
御東征の砌浪速から大和
に進み給はむとす その
時 天種子命 勅命を奉
じ生駒山西方の霊地神津
嶽の頂上に一大磐境を設
け 国土平定祈願のため
天児屋根大神 比売大神
の二神を奉祀す ときに
神武天皇即位紀元前三年
即ち枚岡神社の起源なり
その後孝徳天皇白雉元年
神津嶽の霊地より現在地
に社殿を造り奉遷す −境内石碑− |