[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
坐摩神社
いかすりじんじゃ
大阪府大阪市中央区久太郎町4−3
|
|||
式内社 攝津國西成郡 坐摩神社 大 月次相嘗新嘗 |
大阪市中央区にある。地下鉄本町駅のすぐ南。
阪神高速13号東大阪線と阪神高速1号環状線の交差する高架の南東部。
東向きの境内には、珍しい三鳥居。
境内正面に社殿が鎮座し、後方に本殿がある。
広くはないが、行き届いた境内。
ビルに囲まれているのだが、逼迫感はない。
神社の『姿勢』を感じることができる、と思う。
社号は、「いかすり」と読むが、通常は音読みで「ざま」。
当初、当社祭神の鎮魂は宮中に奉祭され、
社殿は、天神橋東南の石町(当時渡辺町)に鎮祭された。
天正11年、豊臣秀吉による大阪城築城の際に、
現社地(現在渡辺町)に遷座した。
古社地は、いま当社の御旅所の地であろうと考えられる。
御旅所には、「坐摩神社行宮」の社号標が立ち、
神功皇后鎮座石と称する巨石が祀られている。
明治5年、府社に列し、明治11年に官幣中社に列せられた。
当社祭神五柱を総称して、坐摩神と称している。
生井神は、生々活発の井水の神。
福井神は、幸井・栄井で、繁栄の井水の神。
綱長井神は、釣瓶を吊す綱の長くして、深く清い井水の神。
阿須波神と波比祇神は、『古事記』によると、大歳神の子神。
波比祇神は、屋敷神と考えられ、庭の神。
阿須波神は、足場・足下の神。足の神であり、旅の神とも。
『和漢三才図会』では、
応神天皇三年十一月、百済国辰斯王が叛し、
紀角宿禰・羽田矢代宿禰を遣わして討たせた。
その日に、難波の沼中に祭ったとあり、住吉と同社とし、
祭神に、神功皇后を加える。
当社を攝津國一宮とする説があるようだが出典は未確認。
『日本歴史地名大系』には「摂州西成郡一宮」とあるらしい。
境内右手に、境内社が並んでいる。右から、
相殿神社(春日,住吉,大神受美,猿田彦,大宮比賣,多賀,天御中主,産靈,直比,諏訪,事平,大歳)
天満神社(菅原道眞)、大國主神社(大國主,事代主,少彦名)
繊維神社(天羽槌雄,天棚機姫)、大江神社(神功皇后,應神天皇,武内宿禰)
境内左手、社務所の西側に、二社。
火防陶器神社(大陶祇 迦具突智)、
稲荷神社(宇賀御魂)
天神橋南詰の坐摩神社行宮には、豊磐間戸神 奇磐間戸神。
浪速区にある境外末社・浪速神社には、天照皇大神 豊受皇大神。
当社の神紋は鷺丸。むちゃくちゃカッコよい。
カッコよすぎて、上手くかけなかった。
仕方がないので、賽銭箱に付いていた紋を加工して使用。
う〜ん。カッコよい。
三鳥居 |
本殿 | 拝殿 |
社殿横から |
境内右に並んだ大江神社、繊維神社、大國主神社、天満神社、相殿神社 | |
陶器神社と稲荷神社 | 境内の石(名前が読めなかった) |
由緒書
生井神 福井神 綱長井神 波比岐神 阿須波神以上五柱の御祭神を総称して、坐摩神と申します。此の坐摩神は昔から住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として一般から篤く信仰せられて居ります。住居守護とは人の住居に不慮の危害を防ぎ、居住する人々の安全息災をお守りになるのであって、此の意味で皇室に於かせられても、神武天皇以来今日に至る迄引続き皇居の守護神として此の神様を篤くお祭になり、一般の人々も古くは皆其の家庭の守護神としてお祭りしていました。 旅行安全とは、人々の足の踏み立てる所は何処でもお守りなりますので、外出中或は特に遠くへの旅行などに思はぬ災難に遭わない様に守護せらるるのです。之に就いては萬葉集に旅行中の安全を坐摩神に祈る防人の歌が載っています。 安産の神とは神功皇后が応神天皇をお生みになります時其の安産を当社にお祈りになった故事により、安産の神として古くより知られています。近くは明治天皇がお生まれになります時にも、皇室から特に御安産の御祈願があり丁度当社の秋祭の日に御安産になったのであります。 当神社は豊臣秀吉時代迄は今の天満橋南詰辺に鎮座せられ、摂津国西成郡(今の大阪城より西方一帯)の唯一の大社であり氏神でした。此の天満橋付近の地を渡辺と申していましたが、天正十一年、豊公の大阪城築城に祭し廓外なる現在の地に御遷座になり、今ここの町名を渡辺町というのも元の地名を移したものであります。 以上の通り当社は大阪に於ける最も古い、由緒ある神社であり、昭和十一年に官幣中社に昇格されたが、昭和二十二年、制令で社格は廃止されました。 しかし皇室の御安泰とともに氏子崇敬者の安全息災と隆昌発展を永久に守護せられています。 −『平成祭データ』− |