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貴船神社
きふねじんじゃ
京都府京都市左京区鞍馬貴船町180
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式内社 山城國愛宕郡 貴布祢神社 名神大 月次新嘗 |
京都府京都市にある。
叡山電鉄・鞍馬線貴船口より徒歩で30分ほど北上。
貴船口駅の南に、一之鳥居と梶取社(宇賀魂命)があるらしい。
参拝は二月だが暖かく、
雪が少なかったので徒歩での参拝も苦にならなかった。
といっても、チラチラと小雪の降る中での参拝で
冬の京都に来たのだと実感できた。
貴船口からしばらく歩くと、蛍岩や
梅宮社(木花開耶姫命)、白石社(下照姫命)がある。
雪の貴船 |
蛍岩 | 梅宮社 |
しばらく木々に囲まれた道を歩くと、
道沿いに店が立ち並び、赤い鳥居(二之鳥居)が見えてくる。
鳥居脇の社号標には「総本社貴船神社」と刻まれており、
鳥居の脇には、白鬚社(猿田彦命)がある。
鳥居をくぐり参道階段を上ると神門。神門の奥が社殿のある境内。
階段の両脇には赤い燈篭が並び、観光写真で良く見る光景だ。
境内には白馬・黒馬の神馬像がある。
当社は水の神を祀る神社で、祈雨八十五座の一として、
祈雨に黒馬、祈晴に白馬を奉納されたが、
昔は馬が貴重だったので、いつしか馬の絵を奉納するようになったらしく
当社は絵馬発祥の地だという。
創祀年代は不詳。
社伝によれば、反正天皇の頃、
玉依姫命が、黄船に乗って、淀川・賀茂川・貴船川をさかのぼり、
当地に上陸し、水神を祭ったのが当社の起こり。
玉依姫命が乗ってきた船は、小石に覆われ奥宮境内に御船型石として残っている。
また、奥宮の本殿下には、巨大な龍穴があり、
文久年間の本殿修理の際、大工がノミを落としたところ、
一天にわかにかき曇り、風が起り、ノミを空中に吹き上げたという。
が、なんと言っても、謡曲「鉄輪」が有名だ。
宇治の橋姫が、丑の刻参りをして男に呪いをかけた伝承からうまれた「鉄輪」は、
頭に鉄輪をつけ、鬼女となった悲しい女性の話。
丑の刻参りは、祭神が丑年丑月丑日丑刻に降臨した古事に因む。
天喜三年(1056)四月)現在地に奉遷し、
元の鎮座地を奥宮とした。
現在は、本社と中宮、そして奥宮で構成されており、
本社から奥宮までは歩いて10分。
境内には幾つかの境内社がある。
本殿裏の鈴鹿谷の上にあった鈴鹿社(大比古命)、
川尾社(罔象女神)、牛一社(木花開耶姫命)、祖霊社など。
二之鳥居 | 二之鳥居脇に白鬚社 |
参道階段 |
神門 | 手水舎 |
拝殿 |
本殿裏 |
白馬黒馬の神馬像 | 祖霊社 |
鈴鹿社 | 川尾社 | 牛一社 |
貴布総本宮貴船神社略記 御鎮座 鴨川の上流、貴船鞍馬の山峡幽邃の地に鎮ります。神代の昔貴船山に御降臨、御社殿創建の年代不祥ながら、社記に凡そ1500年前とあり、第四十代天武天皇の白鳳6年(凡そ1300余年前)御社殿造替えが行われている。日本後記に、藤原伊勢人が東寺造営の任に当った時、霊夢に貴船大明神あらわれて、鞍馬寺建立の御託宣ありと記されている。第七十代後冷泉天皇永承元年七月水害、天喜三年四月(凡1000年前)現在地に奉遷し、元の処は奥宮として奉斎す。 御社格 第五十二代嵯峨天皇弘仁9年大社に宣せられる。延喜の制には名神大社に列し、四度の官幣に預り、二十二社(皇室が特別大切にされた神社)に列す。祈雨八十五座の一として、奉幣には別に祈雨に黒馬、祈晴に白馬を添えられた。 御神階 弘仁9年従五位下に叙せられ、霊験著しく漸次進めて、崇徳天皇保延6年には正一位に昇叙せられる。 貴船信仰 水の霊威は実に広大にして、計り知れない。万物水霊を蒙らぬはない。平安朝時代からの朝野の尊崇極めて厚く、日照り、長雨、国家有事の際には必ず勅使(天皇のお使い)を派遣せられ祈念が捧げられた。尊貴の崇敬は全国一般にも及び、殊に治水関係者、農家、醸造家、染織家、航海者、料理飲食業、製菓業、浴場業、その他水商売の人々は厚い畏敬の念を以て信仰を捧げている。当社より御分霊を戴いておまつりしている御分社は全国府県に御鎮座、約五百社を数える。 −『平成祭データ』− 貴布祢神社(山城・愛宕) 旧址は「山神社址」である。ここからは三角形の尖峰「おとろし」山が見えるから、この神体山に対して右の社址から神意を「聴く女」(巫女)が祈願していたのであろう。このキクメがキフネとなる。メ(me)とネ(ne)は同じ鼻音であるから交代する。またクはフとなる。例−船戸(フナド)の神→久那斗(クナド)の神、これはハ行音はp→f→hと代ったが、p音の時カ行音と交代したのである。故にku(ク)→pu(フ)と交代する。この聴く女=キフネはフが落ちて「木尼」(摂津)。「木根」(伊賀)となる。この貴布祢を後には貴船と書いた。境内に任部社がある。これは「問フ女」社で、神意を問う巫女の社である。神意を「聴く」のも「問ふ」のも同じことである(トフベ−トフメ)。 −『神名の語源辞典』− 貴布禰社 愛宕郡鞍馬山の乾(北西)(左京区鞍馬貴船町)にある。社領十一石九斗祭神 二座 高靇〔伊弉諾尊が軻遇突智を斬って三段にした。その一段がこれである。水徳の神で雨乞いして祈ると応験がある〕・奥御前〔本朝地主神である。王城の守護である〕 藤原伊勢人(東寺の造寺官)が建てる。その後、後奈良天皇の時に京都で咳疫(感冒などのせきの病い)のために小児が多く死んだ。卜者が占うと、貴布禰神の崇りだとした。そこで弘治二年(一五五六)九月九日当社を祭り、疫病を祓い除いた。今に至るまで京都の児童が重陽の日には神輿の形を作って戯れに舁くのは、その遺風である〔弘仁九年(八一八)、当社を大社とする〕。(以上『国花記』による) 摂社 三座 奥深社・吸蔦社・私市社 末社 梶取明神 二瀬村の北の端にある。 竜王の滝 両社の間、三町ばかり西の谷にある〔社司らはこの地で雨を修し祈る〕。 〔新吉今〕 大御田のうるおふばかりせきかけて井せきにおとせ川上の神 (加茂幸平) −『和漢三才図会』− 旧官幣中社。祭神は、高靇神、また闇靇神とも罔象女神ともいわれている。古くは多く「貴布禰」と書かれ「木船」とも表記する。 本社は京都を貫流する鴨川の水源に位置し、水を司る神として古来より崇敬篤く、全国約260(300とも)の貴船神社の総本社として広く知られている。 −『神社辞典』− |