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墨坂神社
すみさかじんじゃ
奈良県宇陀市榛原萩原字天野
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奈良県宇陀市にある。
榛原から369号線に入るとすぐに鳥居が目に入る。
崇神天皇の御代、悪病流行し、人民死に絶えようとした時
大物主神が(『日本書紀』では神人が)、天皇の夢に現れ
墨坂の神に赤色の盾矛を、大阪の神に黒色の盾矛を以て祀れとの神託あり。
教えに従ったところ、悪病が止んで民平穏となったとある。
(大阪の神とは、大坂山口神社だと思う)
また、『日本書紀』雄略天皇七年七月三日、三諸の神は
「此の山の神をば大物主神と為ふといふ。
或いは云はく菟田の墨坂の神なりといふ」とある。
「新抄勅格符抄」に、天応元年(781)信濃国に神戸一戸を賜うとあり
信濃国に同名社が存在する。
もとは、伊勢街道の西峠付近の天の森に鎮座していたが
文安六年(1445)、当地へ遷座し六所大権現と称した。
(社伝では推古天皇十五年の遷座)
旧地に小祠が祀られ、上の宮と称していたが、
天保十年(1839)、数町上に遷して天神神社と改称された。
本殿左の龍王宮は台風で崩壊していた。
東参道入口 | 参道の鳥居 |
宇陀川の参道神橋 | 境内鳥居 |
社殿 |
拝殿 | 本殿 |
恵比須社、菅原社、市岐島社、天神社 | 金比羅社、愛宕社、稲荷社、八幡社 |
参拝した平成十一年には倒壊していた龍王宮 | |
大山祇神社 | 山乃神 | 祓戸社 |
御祭神 墨坂大神 神武天皇御遷都の砌大合戦の墨坂 の地に祭祀せられていた大神でそ の地名を称号し墨坂大神と申して いる。崇神天皇の御代(西暦三八〇年) 国中に疫病が蔓延したため赤盾、 赤矛を幣帛として御勅祭せられ又 天武天皇白鳳元年(西暦六七三年)に大來 皇女を使者として奉幣されたとも 伝えられている。 文安六年(西暦一四五〇年)に墨坂から現在 の地に遷都された。 本殿は元治元年(西暦一八六四年)御造営に 際し南都春日大社の旧本殿を拝領 し建造したものである。 新抄勅格符抄によれば天應元年(西暦七八一年) 「墨坂神一戸信乃」とあり長野県須坂 市に御分社が二社ある。 例祭は十一月三日で古式により、渡行式が執り行われる。 −境内由緒− 当社は、宇陀郡榛原町萩原に鎮座しており、祭神は墨坂神、創立年月不詳であるが、記紀登載の神社で推古天皇15年に榛原町西峠から現在地に移転している。明治までは六社権現とも天野宮とも称していた。旧跡には渡行地があり例祭日に渡行地から本社へ時代行列、太鼓台が列をなし本社で例祭を行う。 近隣町村は「榛原まつり」と称し賑わっている。また境外末社の恵比須神社は2月10日例祭を執行しているが「榛原えびす」と称し参詣者が多い。 −『平成祭データ』− |
【 墨坂神社 】