HOME [HOME]  >  [神社記憶]  >  [四国地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


宅宮神社
えのみやじんじゃ
[徳島旅行] 徳島県徳島市上八万町上中筋558  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に五七の桐

式内社 阿波國名方郡 意富門麻比賣神社
旧郷社

御祭神
大苫邊尊 大年大神 稚武彦命

徳島市上八万町にある。
徳島市内から438号線を南西へ進み、
上八方町から西へ真直ぐ、500mほど。
道路から少し南へ入った場所に、東向きの鳥居がある。

社殿もすべて東向きで、昇ったばかりの朝日を正面に受け、
非常に美しい境内だった。
境内から入口の神門を振り返ると、
神門が黒いシルエットとなり、朝日がその間から差し込み、
しばし見とれて、撮影したのだが、うまく伝わらない。残念。



元は意富門麻比賣神社と称していたという。
式内社・意富門麻比賣神社に比定されている古社。

中世に現社地に遷座し、宅宮神社と改称。
古社地は、現在地の南500mの山腹で、
現在は農地になっているらしい。
境内案内によると、日本唯一の家宅の神であるという。

また、名方郡の著名大社12社を巡る「十二社詣り」が行われており、
当社がその第一であると、鳥居扁額に記されていた。

境内には、巨木が多い。神門横の木も、かなり立派だった。

拝殿は正面に朝日を浴びて、美しいのだが、
後ろの本殿は、真暗で、うまく撮影できなかった。


参道と神門

境内

本殿

神門と木

境内社

境内社

境内社が3つ。『式内社調査報告』には、
朝宮神社・十二社神社・厳島神社とあったが、
どれがどれだか不明。

雅武彦命の「雅」は、通常「稚」なのだが、境内の案内には「雅」だった。


宅宮神社略記
御祭神 大苫邊尊(おほとまべのみこと)
大年大神(おほとしのおほかみ)
雅武彦命(わかたけひこのみこと)
由緒
一、 千数百年以前より意富門麻比売神社と奉称された 式内社にして現在地の南方約二丁余(上八万小学校西南) 山間の堂と稱されし平坦地に鎮座す
一、 天正年間長曽我部元親阿波国攻入の際兵火により 社殿焼失す 兵乱鎮まりて後神林地の現在地に 社殿を建立しその時より宅宮大明神として奉斎された 日本唯一の家宅の守護神なり
一、 寛保元年三月雅武彦命の御神体を勧請せり
祭典神事
一、大御神楽祭旧二月一日
一、例大祭十一月三日
一、神踊八月十六日
(徳島市指定重要文化財)

十二社詣り由来記
御七社
 宅宮神社徳島市上八万町
 国中神社 〃 一宮町
 一宮神社 〃 一宮町
 天石門別八倉比売神社 〃 国府町矢野
 白鳥神社名西郡石井町白鳥
 大御和神社徳島市国府町府中
 八幡神社 〃 国府町井戸
市中五社
 諏訪神社徳島市南佐古町
 春日神社 〃 眉山町大滝山
 四所神社 〃 福島町
 八幡神社 〃 伊賀町
 金刀比羅神社 〃 勢見町
 十二社は名方郡(旧徳島市、名東、名西郡)の崇敬特に篤き著名の 大社にして十二社は天神七代地神五代の数に當り天の七生地の五行 年に十二月日に十二時又十二支皆おのづからそなはれる数にして 萬事成就の形にて此の数によって定め奉つ道程二百七十丁 余と古昔此の社に月々参詣すれば諸願成就なると伝えられ 諸人盛んに参詣し社頭は殷賑を極めた  瑞勝謹書
奉納昭和五十六年辛酉十月吉日
  徳島市八万町千鳥 長谷部一美

−境内案内−



最終更新日:2013/10/09
【 宅宮神社 (徳島市) 】

ボーダー




四国地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方
阿南市
阿波市
海部郡 海陽町
吉野川市
三好郡 東みよし町
三好市
勝浦郡 勝浦町
小松島市
徳島市
那賀郡 那賀町
板野郡 上板町
板野郡 板野町
美馬郡 つるぎ町
美馬市
名西郡 神山町
名西郡 石井町
名東郡 佐那河内村
鳴門市