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式内社 土佐國長岡郡 小野神社 旧村社 御祭神 天足彦國押人命(考昭天皇の皇子 、考安天皇の兄、小野氏の祖) |
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勧請年月や由来など不明だが、小野村の産土神
として信仰された。ところで当社鎮座の場所は中世小野城
のあったところで、長宗我部元親の二男親和が讃岐の香川
家をついだが、香川家の衰退により帰国し、元親から小野
の古城を与えられ小野村に住んだといふ。『南路志』に小
野神社について「豊岡大明神麻小野古城山」と記されたのもそのた
めである。小野神社と豊岡大明神を合祀したため混乱がお
こったことについては前記したが、時期は不明だが小野神
社と並列して建てられた豊岡大明神(豊岡神社)が有名にな
ったため、小野神社といへば豊岡大明神のことと思うよう
になり、中には両社を同一の神社と考える者もあらわれた
ようである。『南路志』には小野神社を「若宮本社脇」と記
し、脇宮・若宮としてあつかっている。ところで小野神社
の神体について『皆山集』に「式社記云、此社、小野村古
城址豊岡社東側ニ小社あり。是なり。束帯せる男体の木像
を以て神体とす。今其神像豊岡社ニ蔵む。古、何時豊岡社
に合するを知らす。」と記されてあり、神体すら豊岡神社に
おさめられては混乱するのもうなづけるのである。式内社
の小社で、明治五年社格制定にあたり村社となった。『長
宗我部地検帳』によれば、長宗我部氏の有力家臣小野民部
承は一反三三代の土居屋敷に住み、約二五町の給地をもっ
ているが、小野氏は中世において伝統的に小野村での豪族
としての地位を保っていたのであらう。小野神社のある南
には山麓に善楽寺があったが、検地の段階では阿弥陀堂が
残っている。豊岡大明神は社領八反四十八代四歩があった
が、長宗我部時代に取り上げられたと伝えられている(高
知県神社明細帳)。山内藩政時代は御山方の支配をうけ、棟
札に寛文四年(一六六四)三月、元緑十五年(一七○二)九
月、元文三年(一七三八)十一月のものがあり、修造された
が豊岡大明神と記されている。
−『式内社調査報告』− |