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石土神社
いはつちじんじゃ
高知県南国市十市4327  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 土佐國長岡郡 石土神社

御祭神
磐土命
石土毘古神 『土佐國石土宮記』(先代旧事本紀より)
磐土命 『土佐國式社考』(日本書紀より)
上筒之男命 『土佐國石土神社考』(古事記より)

南国市。物部川河口にある高知空港から、
黒潮ラインとよばれる道路を西へ6Km程。
峰寺トンネルを抜けると、石土池があり、その西に鎮座。
さらに西へ進むと有名な桂浜がある。

式内社・石土神社に比定される古社。

神社の後方は石土山と呼ばれ、石土洞という鍾乳洞がある。

洞窟は東西に分かれ、東の穴を男蛇(雄蛇・白蛇)の穴、
西の穴を毒蛇の穴という。東の穴では雨乞いが行われていたらしい。
また、神社側の石土池は、讃岐の萬緒池に、
洞窟は大原野、萩原寺地蔵院に通じているとの伝説がある。

境内右手に階段があり、岩の上に登る事ができる。
上には幾つかの祠が祀られていたが詳細は不明。

祭神磐土命上筒之男命に関して。
古事記では上筒之男命、日本書紀では表筒男命であるが、
日本書紀の一書に伊弉諾尊が橘小門で禊をした時、
水の中に入って、磐土命を吹出した。その後に生れた、
底土命赤土命なども生み出し。
上筒 = 磐土
底筒 = 底土
中筒 = 赤土
と音の変化したもので、同じ神と考えられている。
ただし、境内案内板にある石土毘古命とは違う神なのだが。

黒潮ラインが社前の東西に走り、その向うに太平洋。

本殿は完全に覆われている。

背後の洞窟は背が低く、覗いてみたが、
あまり奥行きはなさそうな感じだった。
入ってはいないので、断言はできないが。


鳥居

蔵王権現などの境内社

社殿

社殿

社号標

扁額

本殿

背後の洞窟

延喜式石土神社記
御本殿 伊勢皇大神宮御下賜御料材
御祭神 石土毘古命勧請年暦不詳
在十市里池日本記曰伊弉諾尊入磐土命続日本後記曰承和八年八月辛丑以土佐國石土シム官社
五十四代仁明天皇御宇承和八年(千百十年前)
六十代醍醐天皇の延喜五年(千五十二年前)延喜式格制定
延喜式社土佐の國二十一社の其の一にして神明帳に成る日本國内上格の御 官者は神祇官より直接幣帛を捧げらる谷重遠先生の土佐の國式社考に詳なり。
御神霊は神秘にして掛巻も毘けれども伊邪那岐の命の御子綿津見の命 の次に生れさせ給ひし上筒男の命中筒男の命底筒男の命の御替名 が此大神である事は本居宣長先生の古事記伝に明なり。
霊徳高く長宗我部山内公歴代崇敬の御神元海南学校教諭寺石正 路先生史蹟調査の結果によると三百有余年前修験者此神社より 伊豫國新居郡瓶ヶ森に勧請し延喜式社なりと衆人に呼かけても朝庭 に於せられては御記録の通りにて此郡此村にして寸分の紛れなしとて御 変更なかりしとか其の後伊豫新居岡市の境なる伊豫の地高嶺に遷座し てより本名高嶺の名は次第に廃れ現在の石鎚山となる石鎚神社は延喜 式社に非ず、(中略)石鎚神社は元 土佐の國より分霊したるものにして土佐長岡の石土毘古の命と原祠を稱すと記せり(石鎚山先達記に有り)
(後略)

−境内案内板−



【 石土神社 】

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