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朝倉神社
あさくらじんじゃ
高知県高知市朝倉丙2100  Zenrin Data Com Maps display !!


十六八重菊


五三の桐



「神社名鑑」より
未確認

式内社 土佐國土佐郡 朝倉神社
旧県社

御祭神
天津羽々神(別名 天石帆別神 天石門別神の子)
合祀 天豊財重日足姫天皇(斎明天皇)

味鋤高彦根命 『朝倉宮縁起』
天御梶日女神(味鋤高彦根命の后神であり、天津羽々神と同一) 『皆山集』
(亦名 阿波咩命、阿波々神、阿波神)

高知市内、鏡川の西にある。JR朝倉駅の側。
JRの踏切を北へ越えると境内入口、参道が北へ続く。
南へ行けば、朝倉城跡がある。

土佐二ノ宮とされており、祭神も、一ノ宮土佐神社祭神の后であるとする説がある。
土佐国風土記逸文にも記載されている古社なのだ。

江戸期再建の本殿は国指定重要文化財で、
外壁は黄色に彩色され、神仙図のような絵が描かれている。
本殿には、金の菊紋と桐紋で、装飾されていたが、
神社名鑑にあった橘紋は確認できなかった。
朝倉神社は、朝倉橘廣庭宮とも呼ばれているので、
橘である可能性は高いのだが。

日本書紀、斎明天皇の条に、以下の記述がある。
「天皇が朝倉の宮に移られた時、朝倉の社の丸木を切ってこの宮を建てた。
そのため雷神が怒って御殿を壊した。
宮殿内に鬼火があらわれ、多くの者が病で死んだ。
天皇が崩御された時、朝倉山の上にがあらわれ、
大笠を着て喪の儀式を覗いていた」
定説では、この「朝倉」は、福岡県の朝倉であり、
「朝倉の社」は、麻氐良布神社であるとされているが、
ここ、土佐の朝倉神社であるとする説も古来多く出されている。

斎明天皇は百済救済のために朝倉宮に移ったのだから、常識的には筑前だが、
土佐では、朝倉神社とされ、背後の赤鬼山が、
伝説の鬼の山とされており、当社も地元では「木の丸さん」と呼ばれている。

386号線(朝倉伊野線)から北へ入り、JR踏切を越えて境内。
長い参道が北西に延びる。赤鬼山の麓の境内に社殿がある。
社殿右には倉稲社、左に荒倉社がある。
本殿は重要文化財だが、黄色いのだ。
彩色され、絵画が描かれており、金具で装飾されている。
その絵は、どう見ても新しいのだが、書き直されたのだろうか。


踏切の先に参道入口

参道の鳥居

境内

境内社殿

本殿



忠魂社・荒倉神社

倉稲神社

朝倉神社(木の丸様)旧県社
 高知市朝倉 土讃線 朝倉駅より西〇、四粁
祭神 天津羽羽神 天豊財重日足姫天皇
例祭 一一月一〇日 神紋 橘
本殿 流造 極彩色 一〇坪余
境内 二五八一三坪 末杜 五社
宝物 本殿棟附棟札七枚(重文)
氏子 七五〇戸
由緒治革 天津羽羽神は上古、この地の開拓 神であり、天豊財重日足姫天皇即ち斎明天皇 はその後年この地の朝倉宮に幸せられたちな みにより、のちに合祀された。延喜國幣の小 社に列し、正一位高賀茂大明神、橘の広庭 の宮ともいった。中世以来武家の崇敬篤く、 山内氏歴代は社領寄進、造営につとめた。

−『神社名鑑』−



【 朝倉神社 】

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