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大山祇神社
おおやまづみじんじゃ
愛媛県今治市大三島町宮浦
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瀬戸内海の中央に位置する、愛媛県大三島にある。
西瀬戸自動車道、大三島I.Cから西へ4Kmほど。
大三島西部にある大きな湾の最奥部・宮浦、
神体山・鷲ヶ頭山(437m)の麓に鎮座。
周囲にはお土産物屋などが並び、道路脇に、西向きの鳥居。
高速を飛ばして、朝7時に到着。
徐々に明るくなり始めた境内は、蒼い世界から、色彩を増す。
神門内では、朝の掃除が始まる頃。
創祀は、『大三島記文』によると、
仁徳天皇の御宇に、乎知命が祖神・大山祇命を祀ったとある。
『三島宮社記』では、推古天皇2年。大三島の南東部瀬戸に鎮座し、
大宝元年、現在地へ遷座し、16年の歳月をかけて、社殿を造営。
養老3年(719)に遷宮の儀が執り行われた。
各地の三島神社の総本山であり、日本総鎮守とも呼ばれる神社。
大三島は古くは御島と書かれ、後に三島となり、大三島となったらしい。
また、三島神を奉祭するが故に、大三島となったとも。
伊豫國風土記逸文には、以下のように記されている。
「御嶋。坐す神の御名は大山積の神。
一名は和多志の大神なり。
是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。
此神、百済の國より度り来まして、津の國の御嶋に坐しき。云々。
御嶋と謂ふは、津の國の御嶋の名なり。」
風土記では、仁徳天皇の御宇に大阪高槻市三島江に出現し、
そこから、伊予へ移ったとされている。
また、山の神でありながら、渡しの神でもあり、
瀬戸内海海上交通の守護神として崇敬されている。
境内に入り、奥の階段を登ると神門があるが、
その前に、大きな楠木が、境内いっぱいに枝を広げている。
当社を創祀した乎知命手植の楠で、樹齢2600年だそうだ。
神紋は、「折敷に波三文字」。
各地の三島神社に共通の神紋だが、中の「三」が縮んでいる/いないの違いがある。
西向きの鳥居をくぐると、右手に神田がある。
境内は広いというか、懐の深いという印象。
神門前には、神々しい大楠が聳えている。
神体山・鷲ヶ頭山 |
境内入口 |
境内 | 桟敷殿 |
大楠 | 神門 |
神門から大楠 樹齢2600年 |
能因法師雨乞の楠 | 河野通有 兜掛の楠 |
神門をくぐると、右手に授与所。正面に拝殿。
拝殿後方、玉垣内に、本社を中心に、上津社と下津社が並び、
三社を総称して三島宮と呼ぶ場合もある。
上津社には上津姫・雷神、下津社には下津姫・高靇神を祀る。
拝殿 |
本殿 | 社殿 |
本殿左の下津社 | 本殿右の上津社 |
境内の左手には、長屋状態の十七社。室町時代の建造物で県の重要文化財。
十七社とは、諸山積・大気・千鳥・倉柱・轟・阿奈波・比目木邑・宇津・御前・小山・
早瀬・速津佐・日知・御子宮・火維(維の下に心)・若稚・宮市。
境内右手、手水社の横には、祓殿社・伊豫國総社・葛城社の合祀社がある。
本殿後方には、三社並んだ姫子邑神社(木花開耶姫命とその御子神)。
十七社 | 姫子邑神社 |
神馬舎のそばに 馬神社 | 葛城神社・祓殿神社 伊予国総社 | 池の中に 宇迦神社 |
境内右手 宝筺印塔 暗くてブレた | 境内左手 石神社・稲荷神社・地神社・院内荒神社 |
境内左手 御鉾神社 | 八重垣神社・酒殿神社 |
祖霊社脇 八坂神社・五穀神社 | 明治以前の神宮寺の祖霊社 |
境外社として、阿奈波神社や御子宮神社、轟神社が飛地境内にある。
海上安全の守護神である。 地神・海神兼備の大霊神として日本の国土 全体を守護し給う神であるところから古代 より日本総鎮守と尊称され朝廷を初め国民 の崇敬は各時代を通して篤く中世は四社詣、 五社詣の中心となり、平安時代既に市が立 ち現在に続いている。 御分社は、全国に一〇、〇〇〇余社祀られ、 延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮 に定められた。 明治以降は国幣大社に列せられ四国で唯一 の大社として尊崇されている。 −境内案内より− |