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加茂神社
かもじんじゃ
高知県幡多郡黒潮町入野6930  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に十六弁菊


丸に尻合せ
三つ葵

式内社 土佐國幡多郡 賀茂神社
旧郷社

御祭神
別雷命
合殿
帯中彦命 息長足姫命 品陀別命 武内宿禰命

『神祇志料』
味耜高日子根神
『式社考』
大鴨積命 (大賀茂都美命)

高知県幡多郡黒潮町(旧大方町)、土佐入野駅の東側(海側)にある。
周囲には松原が続き、サイクリングロードなどもある。
国道56号線から東へ入り、線路を越えると
「大方あかつき館」(図書館)という白い建物があり、その横が参道。
参道奥に境内がある。
正月三日の参拝のせいだろうか、
「大方あかつき館」には人影がなく、
SFに登場する白い廃墟のような感じなのだが、
横の参道が、ミスマッチ。面白い空間だった。

創祀年代は不詳。
式内社・賀茂神社に比定される古社。

境内鳥居には、「加茂神社」と「八幡宮」とあり、
相殿の形で、八幡宮が祀られている。
もとは、役場付近の「加茂屋敷」という場所にあったが
早咲から遷座して来た八幡宮と合祀され、現在地に遷座したという。

太平洋に面した入野地区では、津波や台風の被害が多い。
境内右手には、「安政津波の碑」。
安政元年(1854)11月5日午後4時の大津波に関するもの。
当地と海との関係、そして当社との関係を物語る。

祭神は、山城国賀茂社別雷命
ただし『続日本紀』に、「高鴨神」が大和の葛城山で、
大泊瀬天皇雄略天皇)と獲物を争い、怒った天皇は、
高鴨神を土佐に流したとある。
高鴨神は、はじめ、幡多郡の当社・賀茂社へ流され、
次いで、土佐神社へ移り祀られたらしい。
よって、大和国高鴨社祭神の味耜高彦根命とする説もある。

高知の神社の狛犬は、比較的小さなものが多いが、
当社の狛犬もかなり小さくかわいい。

社殿には、菊紋と葵紋の幕が飾られていたが、
葵は加茂系神社の紋だが、当社の葵紋は
通常の葵と違って、尻合せになっている。

参道の左手に「大方あかつき館」があり、
広い駐車スペースになっている。


参道入口

参道

境内

境内鳥居

鳥居扁額

拝殿

安政津波の碑

本殿

拝殿

境内社
天神宮

境内社
竈戸社、山津社、尼津社

【由緒】未詳だが、古く加茂姓の者が、當社を祭り来た つた。『南路志』は、賀茂大明神・八幡宮相殿・賀茂社者 式内之一也と、幡多郡三座の一つ賀茂神社に比定してゐる。
『式社考』は、「舊両社各々在本村、何時不併干 此」と、その年代不詳としてゐる。當社は『神社明細記』 に依れば應仁の頃(一四六七−)、藤原家基御再興の由申傅 へたとあるから、その頃だらうといふ説もある。また、當 社の棟札の最古のものは、吉良播磨守平親貞が藤原朝臣定 次喜兵衛尉本願般眷上人等と八幡宮の再建をしたことを記 してゐるが、これを以て八幡宮移轉の時期だとも考へられ る。天正五年(一五七七)六月。
『土佐物語』に、式社として賀茂神社を参詣したことが 記載されてゐるが、更に親元の「入野大方三郷地検帳」天 正十七年(一五八九)には郷中五ケ村に、計三町八反甘四代 の社領が與へられてゐる。(註五ケ村は入野・加持・鞭・田之 土浦・ロ之口等)。

−『式内社調査報告』−



【 加茂神社 (高知) 】

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