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勝占神社
かつらじんじゃ
徳島県徳島市勝占町中山26  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に卍

式内社 阿波國勝浦郡 勝占神社
旧郷社

御祭神
大己貴命
配祀
事代主命 須勢理姫命 少名彦命 玉櫛姫命 大山祇命

徳島県徳島市にある。
JR地蔵橋駅の南1Kmの勝占町にある中山(65m)の中腹に鎮座。

徳島市街地からは、55号線を5Kmほど南下した場所で、
勝浦川の西側の小山。

南北に走るJR線路の西側の小道の側に、境内入口の鳥居が立ち、
入口の前には、東へ線路を越える道がある。
車を停める場所が分からなかったので、
線路脇にある自動販売機の横に駐車して、参拝開始。

鳥居をくぐると、石を並べた参道が、上へと続く。
しばらく上ると、まっすぐに延びた階段があり、
階段上に社殿がある。
拝殿の後方、垣の中に、赤い屋根の本殿。

山の中腹にあるが、木々が茂っていて展望は良くない。
参拝中、境内の左手からハイキング途中の方が降りてきた。
市街地に近い低山なので、休日ハイキングには良い場所なのだろう。

創祀年代は不詳。

明治八年までは、杉尾神社と称していたが、
古名に戻したのだという。

古代には、この中山は海に突き出た半島で、
当地は、出雲系海人の支配した土地であった。
附近には、徳島最大の渋野古墳がある。

元暦元年三月十日には、屋島へ向かう途中の
源義経が、当社へ参拝し、武器を奉納した。
戦地へ向かう義経は「勝占」の社名が、気に入ったのだろう。

社殿の左側に、境内社が一つ。
扁額には、松熊大明神と書かれていた。
社殿の右手にも、幾つかの境内社が並んでいる。
こちらは、社名が不明。
『平成祭データ』には、末社として以下の社名が記載されている。
金比羅宮、袋振宮、秋葉神社、地神社。
「袋振宮」という変った名前が、少し気になった。

社殿には、卍紋が付けられていた。


境内入口

参道

参道階段

階段上の社殿

境内右の境内社

社殿

境内社左の松熊社

本殿

拝殿に卍

式内 勝占神社
当社は勝占町中山の中腹海抜六五米の高 所に鎮座する古い社で今を去る千余年前 (西歴九二七年)の延喜式神明帳にも載ってい る阿波国五十社の一つ。
古代この附近一帯は海であって出雲系海人の 豪族が支配しその大祖神の大己貴命大国主命) を海に突き出た中山の東端、展望のよ い景勝地の当地に祀った。これが勝占神社の 発祥であると思われる。
爾来中山をとりまく篠原郷篠原庄の氏神 となり、古くは領主たる京都仁和寺より神 田七町五反の寄進、源平時代には平家の重鎮 田口一族の尊信をあつめるかたわら、小松島に上 陸した源義経が屋島にむかう途次ここに参拝 し「勝を占める」縁起を説いて士気を鼓舞 したとの伝説、あるいは蒙古来襲の国難に 当ってが当国代官司の必勝祈願、降って戦国 末期には阿波国守護細川持隆の社殿建立、 江戸時代には蜂須賀家政ら三代の社参につ いで治昭の堂宇建立、等々国守級の人々から も篤い信仰が続き今日に至っている。
なお、本殿北の脇社であった金比羅祠は藩初 家政に懇請せられて城府鎮護のため二軒屋 の勢見に遷宮せられたことは広く人の知ると ころである。
祭神の大己貴命は古来、農林漁業の神、勝負 の神、医術の神として崇められている。
秋の例祭は十月十日

−社前案内板より−

* 誤字らしきものもそのまま掲載した。


【 勝占神社 (徳島市) 】

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