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澤村神社
さわむらじんじゃ
[福島旅行] 福島県いわき市平下神谷字岸前210  Zenrin Data Com Maps display !!


五三の桐

旧郷社

御祭神
澤村勘兵衞勝爲

福島県いわき市にある。
草野駅の西1Kmほどの下神谷字岸前に鎮座。
言葉では上手く説明出来ない場所にあり、
地図を見ながら、狭い道を上って到着。
参道入口は南側にあるようだが、車を境内の社務所横に停めて参拝。

石鳥居をくぐると、左手に手水舎があり、正面に社殿。
拝殿は入母屋造で、後方の本殿は流造。
本殿は垣ではなく、金属の手すりのようなもので囲まれていた。

社殿の左手に石碑が数本立っていたがよく読めなかった。

拝殿扁額には「澤村神社」と書かれ、桐紋の幕がかかっていた。
社殿の屋根には三巴紋も見られたが、どちらが神紋かは未確認。

参拝は天気の良い6月の午後。
木立の茂る境内で、気持ちが良い。

社務所に宮司らしき方がおられたので由緒をいただいた。

明治九年(1876)十二月の創祀。

いわきの地は慶安年間の頃、
大旱害におそわれ農作物は全滅の危機に瀕していた。
城主・内藤忠興は、藩士・澤村勘兵衞勝爲に命じ、
領内の被害状況を検視させた。

農民たちの苦しみに心を動かされた澤村勘兵衞勝爲は、
許可を得て夏井川の用水建設に着工。
苦労の末に用水は完成したが、
奸臣によって不実の罪を着せられて死罪を命じられ、
明暦元年、割腹して果てた。享年四十三歳。

明治になって、住民らが許可を得て神社を創建し
澤村勘兵衞勝爲の霊を祀ったのが当社。

その澤村勘兵衞勝爲を助けて用水を完成させた三森治右衛門光豊は、
水守神社に祀られている。

境内には三山神社と稲荷社。さらに弁才天が祀られている。


鳥居

社殿

境内

扁額

拝殿

石碑

本殿

三山神社と弁才天

稲荷社

澤村神社
鎮座地いわき市平下神谷字岸前二一〇
御祭神澤村勘兵衛勝為命
 由 緒
 江戸時代初期の慶安年間(一六五〇)の頃、磐城地方は大干ばつに襲われ、幾十日も 一滴の雨も降らず、田畑はひび割れ一粒の稲も実らなかった。
 時の平城主内藤忠興公は、家臣澤村勘兵衛勝為に管内の田畑干ばつ状況の検分を命じ た。勝為は、大野郷より回村の折、泉崎村の光明寺に住職歓順法師を訪れ、旱害に苦し む農民の救助策を談合し、歓順法師の示唆を受け、江筋開削の決意を固め、城主内藤公 に進言し、エ事奉行を拝命、小川村開場の夏井川から引水開削の事業を起した。  幾多の難工事の末、三十二年の月日を費やし、大小の水門十七ケ所、延長三〇キロメー トルにおよぶ水路を完成し、水田千二百ヘクタールを灌すに至った。
 小川江筋の完成で小川から四倉に至る村々は、水不足から解消され、多くの米が収穫 されるようになり、農民の生活は豊かになった。
 然るに、勘兵衛勝為の功を妬む者の讒訴によって、明暦元年(一六五五)七月十四日 に割腹し、四十三才をもって果てた。
 しかし、勘兵衛勝為の功により、水利に恵まれた小川江筋下二千有余の住民は、明治 九年(一八七六)草野下神谷に澤村神社を建てて、永くその霊を祀った。
 現在は、いわき市民の飲料水としても、市の上水道に毎日三万六千トンの清流を供給 している。

 祭 日
一月一日暁元旦祭
一月二日正月祈祷祭
四月十日春季例祭
十一月二十七日秋祭

−いただいた由緒−



小川江筋由緒
 慶安三年庚寅六月大いに旱す。農は納なりの 世代、諸村水に苦しむ。稲田十字亀折す。領主 内藤左馬助忠興は其臣沢村勘兵衛勝為をして乾 固の田圃を検せしむ。因って大野郷諸村を巡視 し、帰路暫く暑を光明寺に避く。住僧歓順出で 迎ふ。談話の末泉崎の名に似ず最も水に苦しむ 事に及ぶ。勝為、即ち一首をロ吟す「名には似 ぬ泉崎にて水に飢へ実ならぬ村の寺の淋しさ」 歓順も亦一首を返歌す。「稲の為江水引かれよ 関場より用ゆる水は山のふもとを」勝為、江筋 をうがつの念始めて起る。仍ち小川に赴き地理 を点検するにわづかに小堰あり。此を以て夏井 川を分つの処となし、山跡に沿ふて地勢をあん じ、其の宜しきに随ひ、関場村より四ツ倉に及 ぶ長凡六里八町之を経し図成る。茲に於て藩主 に乞ひ食禄五百石の内三百石を返還し、以て其 費用に供し、己れ郡奉行となり、以て削通に従 事せんと藩主家臣と商議し、其意見を聞く。
 皆曰く可なり、承応元年壬辰二月十五日を以 て着手す。掘って平久保の横山に至る。山し夏 井川の衝に当り、堤崩れ水漏る。勝為、焦心苦 慮経営の法を得ず、既に自殺を期す。夜夢に護 身仏大日如来の告あり、岩に洞せば成らんと。 翌日人夫をして岩をうがたしむに蛇あり、数万 盤結人夫恐怖掘る能はず。勝為ために蛇塚を築 き、大日堂一宇を建立し、利安寺を始め僧侶を 招き除地五石を附す。凡そ役する所の人夫は郡 中総べ、一日幾百人となし昼夜を併せ動作せし む。怠る者は鞭縛し、或は死刑に処するあり。 此の如くする三年三ヶ月其の功全く竣る。
 己にして奸佞の徒、其の功をねたみ讒焔大に 起り、勝為を責むるに利安寺を創め私に除地を 寄附するを以て、明暦元年乙未七月十四日菩提 所平大館西岳寺(いまの大宝寺)に於て割腹を 命ぜらる。勝為、慨然として曰く「我一生の事 業すでに成る。国家にひ益する所なきにあらず 死復た何ぞ憾まん。」と従容絶命の一首を詠じ、 十字に屠腹して死す。時に年四十三。法名を 「一声院刃誉利適居士」といふ。「君がため民 家のために勝為の名は末代に菩提ともなれ。」 今其の水道を検するに、上平村に夏井川をせき する長百五間竹籠を以て石を盛り、水を止め、 流を分ち、渠に入らしむ。渠は関場村に起り、 下小川上平窪下平窪西平窪赤井中塩幕内等を経 て鯨岡村に至り、山に洞し鎌田村に出で、塩村 の田にそゝぐ。水を派し上、中、下神谷、下片 寄泉崎馬目村にそゝぎ、原高野細谷二村を過ぎ 大森村に及び山に洞し名木村に出で、支出して 狐塚塩上下仁井田三村の灌漑を資け、長友村を 経て戸田村に至り、玉造川を断ち、上仁井田四 倉村に至りて終る。水門大小十七ケ所、灌漑及 ぶ所殆んど千町歩。遺沢百世にあまねし、真に 大功と謂ふべし。
 明治九年十二月金賀源三郎、官に請ふて地を 神谷にとり杜を建て、勘兵衛の霊を祀り沢村神 社と稱す、崇敬甚だ篤し。現に、氏の遺沢小川 渠の水利に資る町村一町七ヶ村、田反別千八十 七町九段七畝四歩にして水利組合条例に基き、 普通水利組合を設けて之れを経営せり。而して 明治四十年二月十五日勅令第九十六号により神 選幣帛料を供進し得べき神社に指定せらる。

−いただいた由緒−



最終更新日:2013/10/09
【 澤村神社 沢村神社 (いわき市) 】

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