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冰上神社
ひかみじんじゃ
岩手県陸前高田市高田町字西和野83  Zenrin Data Com Maps display !!


十六八重菊

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式内社 陸奥國氣仙郡 理訓許段神社
式内社 陸奥國氣仙郡 登奈孝志神社
式内社 陸奥國氣仙郡 衣太手神社
旧郷社

御祭神
衣太手神 理訓許段神 登奈孝志神
あるいは 天照大神 素盞嗚神 稲田姫命
あるいは 天照大神 速進男神 稲田姫命

岩手県陸前高田市にある。
市の中心部から、氷上山(875m)へ向かうと、
氷上山の南西麓の高田町に鎮座している。

入口の鳥居をくぐると、参道は森の中へ続いているよう。
参道を進み、左手に曲がると、左手に御假殿。
正面の階段を上ると、社殿がある。

氷上山上に、西宮・理訓許段神社、中宮・登奈孝志神社、東宮・衣太手神社の
3社が鎮座しており、当社は里宮にあたる

古来は、山麓に3社が別に存在していたらしいが、
中世、修験道の山岳信仰により、山頂に集められたという。

寛延3年(1750)、会津宗英寺住職が、
山上に金剛仏三体を奉納しようとしたが、
八合目付近で、急に山が荒れだし、慌てて下山。
その後、7日間、平地は晴天なのに、山だけ大嵐となり、
これを「氷上山大騒擾」という。
山へは一度も仏像を上げたことがないという理由で、
奉納しようとしていた仏像は取り上げになり、平常に戻った。

文徳実録によると、祭神三柱の中で、
登奈孝志神が正五位下、衣太手神と理訓許段神が従五位下の神位であり、
また、中宮に登奈孝志神が祀られているので、3社の中心は登奈孝志神であろう。

とにかく、祭神3柱とも、本来は土地神・地方神であったのではないかと思われる。

社名は、冰上、氷上とも書く場合がある。
「氷上神社由緒」には、以下のように記述されている。
古記で知る。氷上山は御山と稱へ山名を稱へず。
気仙郡に官を置くに當り始めて気仙山と名づく。
後氷上山と改む。
暁光七彩の雲間より旭日昇天を拝しての尊稱か、
郷民の太陽信仰の名稱か。
又往古より山頂野火多く三社附近で自然に消滅す。
火伏の神徳を垂れ給ふものとして
日神 火の神 音相通ずるものとして氷上と呼稱せらると。

社殿や賽銭箱に菊紋がついていたが、神紋かどうかは不明。

参道の御假殿は、昭和48年山頂に神殿を新築した際に、
文化5年の旧神殿を移したもの。

入口に鳥居から参道が延びている。
参道の左手が駐車場。車を停めて、参拝開始。

参道奥の鳥居から森の中へ入っていく雰囲気。

参道を左へ曲がった所に、御假宮。
正面の拝殿後方に、変わった形の本殿。
拝殿の左右には、足名椎手名椎の境内社。

緑に覆われた、森の神社というイメージ。
氷上山へ登っておけばよかった。


境内入口

参道

参道鳥居

参道

参道に石碑

御假宮 元宮

狛犬と池

参道

狛犬と池

社殿

足名椎神社

本殿

手名椎神社

松尾神社

拝殿扁額

神輿倉

氷上神社 旧郷社
気仙郡高田町西和野 大船渡線 高田駅より四粁
祭神 天照大神 素盞嗚神 稲田姫命
例祭 五月一一日 本殿 神明造 四坪
境内 一五〇二坪 末社 八社
崇敬者 六万三千五百人
由緒沿革 当社は文徳実録、延喜式神明帳に 見える理訓許段(西殿)衣太手神(東殿)登奈 孝志(中殿)の三社を合した神社で、仁寿二 年五位を授けられ後進んで遂に正一位に昇ら れた。現社殿は里宮にして北に氷上霊峰を見 る。山上に三峰ありて東、西、中の三社を祀 る。是氷上神社の奥宮なり。

−『神社名鑑』−



【 冰上神社 氷上神社 】

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