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桙衝神社
ほこつきじんじゃ
[福島旅行] 福島県須賀川市桙衝字亀居山97  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 陸奥國磐瀬郡 桙衝神社
旧県社

御祭神
日本武尊 建御雷命

福島県須賀川市(旧長沼町)にある。
長沼町の西13Kmほどの桙衝に鎮座。
118号線を西へ12Kmほど進み、
南へ入ると亀居山の東麓に境内入口。

参拝は東日本大震災から3カ月近く経過した6月始め。
入口に社号標が立っているが、参道の灯籠は倒れていた。
境内や参道にも多くの灯籠があるのだが多くは倒壊していた。

参道を進むと、境内入口に鳥居。
鳥居をくぐって参道を進むと随神門。
今回の参拝から九年前の2002年に一度参拝しているが
当時は、この随神門が修築中で、真新しい銅板が輝いていた。

随神門をくぐって、さらに参道を進むと堂々とした社殿
入母屋造の拝殿の後方に流造の本殿があり、
本殿には覆い屋根が設置されている。

社殿から東へ進むと背後の丘へ続く道があり
その山道を少し登ると、幾つかの巨石があり、
要石と呼ばれる磐座がある。
資料には山頂突端部とあったが、山頂という雰囲気は無かったので
ひょっとすると、これは違う石かもしれないが、
石の近くに「町指定桙衝神社祭祀遺跡」という案内が立っていた。

参拝は6月初旬、曇天の早朝。
いわき市から会津へ向かう途中、羽鳥湖に寄って夜になったので
羽鳥湖の道の駅で車中泊をし、夜明け前に目覚めて参拝した。

通称は、鹿島様。
慶長二年の火災によって社殿および古記録を焼失してしまったため
創祀年代は不詳。

社伝によると、日本武尊東征の折り
この亀居山(神居山)に柊(ひいらぎ)の八尋の矛をつきたて、
武甕槌神(建御雷命)を祀ったのは当社の創祀。

『白河風土記』には、弘法大師が回国の時、
亀居山の下の沖の塚が輝いているのを不思議に思い
その塚の下で修念すること三日三晩。
ようやく光は止まり、塚の中から神鉾が現れた。
当社はその桙塚の社であるという。

人々は岩瀬郡の総社として崇敬し
養老二年に常陸国鹿島大明神を勧請。
明治までは当社も桙衝鹿島神宮と称されていたが、
明治三年、桙衝神社と改称し、明治五年郷社に列し、
明治二十九年県社に昇格した。

境内社がいくつかあり、
境内の左手に境内社の祠が二つ並び、
右手のちょっと高い石にも幾つかの祠。
『式内社調査報告』には、稲荷神社、疱瘡神社、八雲神社、
息栖神社、多賀神社、雷神社、熊野神社の名が載っている。

境内入口の神庫に巴紋が付けられており
『全国神社名鑑』にも神紋は左三つ巴となっている。

ただ、社殿の屋根には鷹の羽紋が付いていた。


参道入口

参道

境内入口

参道と随神門
震災で灯籠が数本倒れてた

修築中の随神門
(2002年当時)

境内

社殿

神楽殿

社殿

境内社

本殿

背後の丘の祭祀遺跡「磐座」?

境内

桙衝神社
 日本武尊が御東征の折り、この神居山(亀 居山)に柊の八尋の矛をつきたて、武甕槌神 を祀ったのは神社草創の始めで約二〇〇〇年 前といわれている。
 この社は、延喜式内の古社で、岩瀬郡の総 鎮守として代々領主の信仰あつく、神域四五 ヘクタール、一の鳥居随神門より中世建築の 本殿を拝す。本殿より左の参道を登れば、祭 祀遺跡の「磐座」が現存する。
 閏年の十月一日に行なわれる御輿渡御、太 鼓獅子舞は、奈良時代から続いたと伝承され る。稚児ばやしと踊りに和して、賑やかに百 足獅子が歩む姿は、優雅華麗にして古風ゆか しいおもかげを今に伝えている。また、本殿 は県指定の重要文化財である。

−境内案内板より抜粋−



福島県指定重要文化財(建造物)
桙衝神社本殿
附棟札十二枚

 昭和五十一年五月四日指定
所在地須賀川市桙衝字亀居山九三番地
所有者桙衝神社
 桙衝神社は、建御槌命と日本武尊を祀り、延喜式神明帳に 「磐瀬郡一座桙衝神社」と記された式内社である。本社は、中 世からは鹿島神宮と呼ばれていたが、明治三年桙衝神社と再 び改称された。
 現在の本殿は、慶安元年(一六四八)白河藩主榊原忠次の 命によって建立されたもので、桁行三間、梁間三間、切妻の 流造木羽葺の三間社で、三方に縁を付している。
 この建物は、妻飾・大瓶束の結綿部分・虹梁の上下面・懸 魚の形などに特に時代と地方の特色を示していて、貴重であ る。本殿の建立、修復の記録として慶安元年から明治年間ま での十二枚の棟札が保存されており、本殿の修理・屋根ふき 替えなどの経過とともに奉行・大工・名主などの氏名が記さ れており、当時の営繕組織をよく知ることができ、これも貴 重な資料である。

−境内案内板−



長沼町桙衝亀居山の東斜面中腹に、東面して鎮座する。 亀居山とは、亀が伏せたような独立丘に見えたために、その名が起ったというが、また一説には、神居山の転化であるともいわれている。 祭神は、社記によると武甕槌命日本武尊の二神であるが、桙衝の名称は、伝柊の尋矛を衝き立てた古事に基くものとされている。 一説に日本武尊ではなく、武甕槌命の事績に由来するともいう「延喜式神名帳」延喜4年(904)に登載された社号からみれば、武の神ないし武器の神が祭られたことが明白である。 それはまた、蝦夷征討との関係からであったろう。 養老2年(712)常陸国より移住した民人、常陸国の一宮神を当山の二の平二勧請して、鹿島大明神と称す。 弘仁12年(821)神鉾が塚より現出したので、秘蔵して、祭神の御霊代として崇める。 天喜5年(1057)源頼義、阿部氏誅伐の誓願成就したのをもって、鹿島大明神を桙衝神社に合祀したので、以来、桙衝鹿島大明神と称するようになった。明治3年(1870)、社号を延喜式登載の桙衝神社に復した。 本殿桁行三間、梁間三間で、切妻の三間社流れ造りの形式をとっている。柱は円柱、柿(こけら)葺きで三方縁、妻飾りの大瓶束を始め、虹梁の上下面や懸魚の形などに時代と地方色が濃厚である。 この本殿の建立については、慶安元年(1648)5月の棟札に「奉修造奥州 惣社磐瀬郡惣鎮守桙衝大明神本地十一面観音菩薩社堂一構」と記されていることや、同年月銘の「祈年祭祓」の内容から、当時の白河藩主榊原忠次の命によることが明らかである。 本殿始め本殿に関する棟札12枚を含め、昭和51年県指定重要文化財となった。

−『平成祭データ』−



最終更新日:2013/10/09
【 桙衝神社 (須賀川市) 】

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