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鳥海山大物忌神社
ちょうかいざんおおものいみじんじゃ
[山形旅行] 山形県飽海郡遊佐町吹浦字西楯  Zenrin Data Com Maps display !!


鳥海ふすま

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式内社 出羽國飽海郡 大物忌神社 名神大
出羽國一宮
旧國幣中社

御祭神
大物忌大神 (倉稲魂神

山形県と秋田県の県境に聳える鳥海山(2236m)の山頂にある。
ということで、当社への参拝は、登山が前提。
登山が嫌いなので、できるなら避けたかったが、
前日に月山に登り、予想以上に平気だったので、
ついでに鳥海山にも登ってみた。

ついでといっても、登山嫌いの初心者なので、
幾つかあるルートの中で一番楽なコースを
ゆっくりと時間をかけて、ダラダラと登ることに決め、
夜の明けない時刻にホテルを出発。
鳥海山の西麓にある鳥海ブルーラインに入り、
鉾立の大駐車場へ到着したのは、朝の4時前だった。
標高が高いせいか、空気がきれいなためか、
夜空には大きなオリオン座が鮮やかで、しばらく見とれていた。

徐々に周囲が明るくなって、ライトが無くても道を歩けるようになったので、
涼しいうちに、さっそく出発。
象潟口からの登山道は、しばらく舗装された階段が続き、
後に、左右に低木の植物が茂る、尾根沿いの道。
やや下って、賽の河原を通過すると、御浜小屋が見えてくる。

御浜小屋には、御浜神社が祀られており、
「鳥の海」というカルデラ湖が、緑の草原の中に美しい。

すでに朝日は昇り、
夏休みを利用した登山客がドンドンと登ってくるが、
人に追われて登りたくないので、しばらく(というかかなり)休憩。
人が途切れた頃に、ようやく歩き始める。

御浜から扇子森を越えると、山頂が朝日を背景にクッキリと見えてくる。
その直後、せっかく登った道を下って、再度登る石の階段(八丁坂)。
八丁坂では、何度も休憩し、なるべく足腰に負担のないように進む。
八丁坂を過ぎて、しばらく歩くと、七五三掛。


鳥ノ海

御濱神社

御濱神社付近から山頂

ここで、雪渓を歩く千蛇谷ルートと、
文殊岳や伏拝岳を経由する外輪山ルートへ分かれるが、
千蛇谷コースの入口が一部崩落しており、外輪山コースを少し登って分岐。
どちらを行くか悩むところだが、僕は、躊躇無く楽だという千蛇谷コース。
設置されている梯子を降りて足場の悪い道を下ると、
前面に雪渓が現れ、雪渓の向こうに山頂が、再度姿を現す。


千蛇谷の雪渓と山頂

雪渓を渡り、目前に聳える山頂を見上げて、少しビビル。
七五三掛から山頂までの道は、10等分されており、
番号を付けた道しるべが立っているので、ペースを考慮しながら歩く。
体力のない僕は、各道しるべ毎にリュックを下ろし、
十分な休憩をとることにした。
それでもシンドイ登りなのだが、ここが最後の登りなのだ。

ということで、なんとか山頂に到着。
標準では5時間程、早い人で4時間の登りらしいが、
時計を見ると10時を過ぎていたので、僕は6時間を要したことになる。

山頂の大物忌神社は、石積みで囲まれた境内。
敷地の前に鳥居が立ち、石積み中央部に境内入口。
階段を登ると社号標が立っている。
社号標の傍には、当社の神紋にも用いられている
「鳥海ふすま」の白い花が咲いていた。
「鳥海ふすま」は、鳥海山山頂と北海道雌阿寒岳にしか見られない貴重な花。
夏に咲くそうなので、見たければ夏に登る。

参道の右手には宿泊施設、左手に授与所があり、
授与所では飲み物なども売っている。
建物に挟まれた参道を進むと、階段上に鳥居と社殿があり、
社殿の後方には、新山の頂が見える。


山頂の境内

境内と新山

社号標付近に咲くチョウカイフスマ

境内入口

社号標と社殿

社殿

社伝によると、景行天皇の御代に出現し、
欽明天皇二十五年、鳥海山上に鎮座した。

他説では、欽明天皇七年の鎮座とする。

鳥海山は古代日本の北の境界に位置し、
異狄に対して神力を放って国家を守ると考えられており、
更に、穢れを清める神でもあるという。

承和六年、遣唐使の船が南海で漂流し、海賊に襲われた時、
急に戦局が有利に転じて勝利した。
その時、鳥海山に雲がかかり、10日間も雷鳴が轟いて、
長雨の後、海浜に石の鉾や鏃が降って来たという。
これは、大物忌神の援軍が、天上で戦い、
海上で戦闘を行っていた遣唐使を救った結果だといい、
その後も、当地では石鏃などが降ったという記録が残されている。

「三代実録」貞観十三年五月十六日の条によれば、
鳥海山噴火により、青黒い泥水が流れ、
臭気が満ち、死魚が多く浮かび、泥流によって苗稼は枯れ、
濁流により草木が枯れてしまった。
この噴火の原因は、墓の骸骨(死)によって山水が穢れたからだという。

また、『本朝世紀』天慶二年四月十九日の条によれば、
出羽国で発生した天慶の乱の時、鳥海山が噴火して
兵革を知らせたという。

明治四年、まず、吹浦口にある吹浦の宮が國幣中社になったが、
明治十三年、鳥海山上の祠を本社とし、吹浦蕨岡の両社を
それぞれ口之宮と定められた。

通常なら新山に登るところだが、登山は嫌いなので、
参拝を終えると、速やかに下山を開始。

十分に休息しながら登ったおかげで、
体力的には、まだまだ元気。
元気なのだが、左の膝が少し痛み出してきた。
登りでは気づかなかった痛みだ。
登山では下りの方が大変らしい。膝にかかる衝撃で、
徐々に痛みが大きくなってきたので、大事をとって、
登りの時よりも意図的にゆっくりを歩く。
登りの時にもしんどかった八丁坂は、
下りではもっとしんどかった。

鉾立の駐車場に到着し、当日の宿泊予定地を地図で探していると、
大平登山口にある大平山荘のそばに、当社の中之宮が祀られているのを発見。
さっそく、下山報告の参拝をして、ホテルへ向かう。


大平登山口にある大平山荘そばに中之宮

中之宮

中之宮

出羽一宮
鳥海山
大物忌神社略誌
 欽明天皇25年(1400余年前)鳥海山上に鎮座され貞観4年官社に列し国家の祀典に預り延喜の制には吹浦に鎮座し給ふ月山神社と共に名神大社に班し後出羽国一宮としてその撰に預り朝野の尊信を享けてきた。
 特に歴代天皇の崇敬篤く八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修等代々の武将にも篤く崇敬されてきた。
 中世神仏混合以来鳥海山大権現として社僧の奉仕するところになったが、明治3年神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり同4年国幣中社に定められた。
 昭和30年鳥海山大物忌神社と改称鳥海山の御本殿は伊勢と同じく20年毎に建て替える式年造営の制になっている。現在の御本殿は昭和52年に造営のものである。

−『平成祭データ』−



最終更新日:2013/10/09
【 鳥海山大物忌神社 】

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