こくぞう
熊本県阿蘇市一の宮町手野2110

式内社 肥後國阿蘇郡 國造神社
旧県社
阿蘇神社北宮

一ノ宮 国造速瓶玉命(阿蘇神社主神 建磐龍命の御子神)
二ノ宮 雨宮媛命  (一ノ宮の妃神)
三ノ宮 高橋神   (一ノ宮の第二御子)
四ノ宮 火宮神   (一ノ宮の第三御子)

57号線宮地の交差点から北へ約5Kmの手野にある。
通称、「北宮」。阿蘇神社に対する名称だ。
祭神は、阿蘇神社諸神殿にも祀られている国造大明神。
相殿に妃神や御子神を祀っている。
第一御子の彦御子明神は、阿蘇神社の大宮司の祖。
阿蘇神社の五の宮に祀られている。

国造の読みに関しては、クニツクリ・クニノミヤツコ・クニツコなど
色々あるようだ。本居宣長は「クニツクリノ」と訓じている。

周囲には多くの古墳が点在する。
上御倉古墳・下御倉古墳は国造夫妻の墳墓とする説もある。
阿蘇氏は、火山神である建磐龍命を前面に押出しながら、
祖先神であり農業神である国造大明神を篤く信仰していたようだ。

三ノ宮の高橋神は、仁徳天皇期に神社背後の高橋山から、
四ノ宮の火宮神は、反正天皇期に社前を流れる杖立川岸地獄田から
出現したという伝承がある。

境内は広く、自然も多い。
全国的にも珍しい鯰を祀った宮もある。
鯰宮 建磐龍命が阿蘇の火口湖を立野の火口瀬を
蹴破り干拓した時に大鯰が出現。建磐龍命は「お前が居ては人々が住めない」
というと、鯰は頭をたれて去って行った。その鯰の霊を祀る。


 由緒・沿革
 御主神 国造速瓶玉命は、肥後一ノ宮阿蘇神社の主神 建磐龍命の第一の御子神 にして、延喜の制式内社(官社)に列せられて、阿蘇神社と同格の御社であり、 父神建磐龍命の聖業を嗣がれ、阿蘇の開拓に水利にと国土開発の大業をなされ、 庶民に農耕を教え畜産に植林に万幸を与え衆民を愛撫し、仁徳を施された。
 この御聖徳と御功業により、第十代崇神天皇の朝に、阿蘇初代国造と定めら れ、同十八年(紀元五八一年)御子惟人命(彦御子神)に勅せられて、阿蘇国 造の神として、御居住の地(現在地)を卜して鎮祭せられ、茲に二、〇〇〇年 以上の歴史ある古いお社である。
 此の間上歴朝の尊崇はもとより、下万民の敬仰する所で、国司、藩司の崇敬 も亦篤く、中世以降に於ても肥後の大守細川氏も阿蘇神社と共に造営に、祭典 に、代々藩費を供進せられ、現在の社殿は寛文十二年、細川五代綱利公の御造 営のものである。
 古来、農神としての信仰厚く、五穀豊穣に晴に祈り、雨に乞ひ、又害虫消除 に頗る霊験新かであり、近郷近在より其の時折りに祈願参拝も多く、近年には 阿蘇の古名社として、遠来よりの参拝も沢になりゆき之大神の偉大なる御恩頼 を渇仰する故に外ならない。
 明治七年十月には県社に列せられた。

−境内案内より−