HOME [HOME]  >  [神社記憶]  >  [九州地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


國片主神社
くにかたぬしじんじゃ
[長崎旅行] 長崎県壱岐市芦辺町国分東触766  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に梅鉢

式内社 壹岐嶋壹岐郡 國片主神社
式内社 壹岐嶋壹岐郡 天手長比賣神社
旧村社

御祭神
少彦名命 相殿 菅原道真公
天月神命 『壹岐神社誌』

東岸の芦辺港と、西岸の湯本温泉を結び、
壱岐の中央部を東西に走る道路の真中あたり、
国分郵便局の正面にあり、
近くには国分寺がある場所。

当社は、古来、国分天神と呼ばれ、
唐土から石舟に乗ってやって来た、唐田天神を祀っていたが、
天満宮との混同により、国分天満宮となったもの。

その、天神が、天手長比賣神社に比定され、
橘三喜による、延宝の式内社査定では、
国片主神社に比定された。
橘三喜は、その理由を示しておらず、
当社が国片主神社である証拠は、何処にもない。

ただ、当社が、壱岐七社・民間大七社の一社であり、
古来より崇敬の大社であったことは確かで、
いずれかの式内社であったことは、うなずける話であり、
となると、国片主神社であっても不思議ではない。
七社とは、白沙八幡興神社住吉神社本宮八幡箱崎八幡国片主神社聖母宮

当社の社名「国片主」は、祭神・少彦名命が、
大国主命と二人で、国土経営を行ったことによる。

神紋は、旧天満宮ということで、梅鉢紋。
境内には、牛の石像もある。
また、這い蹲ってくぐる石造の小さな鳥居が三つあった。


社頭

境内

小さな石鳥居が並んでいる

本殿

社殿

稲荷社

鳥居扁額と石祠

くにかたぬし
國片主神社 由緒沿革
 旧号國分天満宮 國分天神
 祭神少彦名命(國造り、病を治す神)
 相殿菅贈相國(学問の神)
 例祭日旧八月二十五日
由緒沿革
  当社は延喜式内二十四座の内なり。壱岐島大七社の 一ツなり。國片主と名付けられたのは、遠き神代に於い て少彦名命が大國主命と共に國土を二分して経 営され給うに依る。又古来國分天満宮、國分天神と 称するのは学問の神菅原道真公を祀るが故なり。 嵯峨天皇弘仁二年(八一二年)十月朔日、日輪の神勅を 承けて鎮り給う。朝廷より神階を進められ給う。 (千百年前)即ち文徳天皇仁寿元年正六位上(千百年前) 後九代の各天皇より九回に亘り次々各一階づつ増し奉らる。
一、永禄五年、宝殿再建、波多藤童丸(一五六二年)
一、慶安四年、宝殿再建、松浦肥前守鎮信(一六五一年)
一、承應三年、拝殿造替、大宮司長田十太夫(一六五三年)
一、寛文三年、宝殿造替、大宮司長田(榊原)式部(一六六三年)
一、延宝四年、木鏡、石額奉献、國主 源鎮信(一六七六年)
一、元禄十四年、石鳥居造替、(一七〇一年)
一、宝永六年、御殿造替、(一七〇九年)
一、天和三年、神輿造替、
(社記)に依れば当社古くより朝廷の崇敬厚く毎年祈年祭 には幣帛料を奉られ平戸領主壱岐を領有後益々崇敬 加わり國主直参社となり名代参向せり。
一、明治七年五月村社に列せらる。
一、大正元年十一月神饌幣帛料供神社に指定せらる。
昭和六十三年四月宮司就任記念 榊原 伸

−境内案内より−



最終更新日:2013/10/09
【 国片主神社 國片主神社 】

ボーダー




九州・沖縄地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方


伊万里市
佐賀市
三養基郡 みやき町
三養基郡 基山町
唐津市

壱岐市
対馬市

[旧上県郡] [旧下県郡]
長崎市
平戸市