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式内社 筑前國糟屋郡 志加海神社3座(並名神大) 旧官幣小社 御祭神 中殿 底津綿津見神 右殿 仲津綿津見神 左殿 表津綿津見神 配祀 中殿 玉依姫命 右殿 神功皇后 左殿 應神天皇 |
福岡県福岡市にある。
玄界灘に突き出した、金印で有名な志賀島に鎮座。
3号線から和白で西へ。そのまま道なりに進み、志賀島橋を渡る。
当社は、島の付け根の部分にある。
参道が長く、緩やかに登る。
創祀年代不詳。
人皇第十二代景行天皇即位十二年、
九州御巡幸のみぎり、当社に祈祷したというほどの古社。
神社名の読みは「しかうみ」が一般的だが、
神職が「しかかい」と言っていた。
志賀島にある「海神社」という意味らしい。
志賀島の由来は、『続日本紀』には、「因曰近島今訛謂之資珂島」とあり、
チカシマからの訛とする説があるが、
鹿の多い「鹿島」ではないだろうか、と思う。
寶物として、鹿の角数千本があるらしい。
諏訪でも、鹿の生贄を神に奉じる。摂社の中には、
千鹿頭神社というものもある。諏訪の建御名方に関連あるのか。
建御名方の妃・八坂刀売は安曇の女らしい。
祭神は、阿曇族の祖神。
古事記には「此三神綿津見神者阿曇連等之祖神以伊都久神也」。
「阿曇連者其綿津見神子宇都志日金拆命之子孫也」。
日本書紀には「底津少童命・中津少童命・表津少童命、是阿曇連等所祭神也」。
神功皇后の三韓征伐の時の梶取、安曇磯良も志賀島大明神と呼ばれ、
同じ神とされている。
「ワタツミ」の「ワタ」は海を表わす古代朝鮮語「バタ」。
「ツミ」は精霊を表わす語であり、「海の精霊」を意味する。
志賀島の入口にある。境内はかなり広い。
参道も長く木々も豊富。なかなか気持ちの良い神社。
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旧官幣小社(現別表神社)。底津綿津見神・中津綿津見神・表津綿津見神を祀る。綿津見三神は海の神である。『筑前風土記』逸文には、神功皇后三韓親征の時、船を志賀島に留められたことが記されている。また『万葉集』に「ちはやぶる金の三崎を過ぎぬとも吾は忘れじ牝鹿の須売神」とあり、当社の神々を詠んだ歌が見えている。
−『神社辞典』− 志賀海神社(筑前・糟屋)シカノウミ神社である。博多湾頭に位する島であるが鹿が多いので鹿島といった。神庫には数百本の鹿の骨を蔵している。『万葉集』に志賀・四鹿とある。阿曇氏がこの島を根拠地としてから海神三座を祀ったのでこの神名となった。 −『神名の語源辞典』− |