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銀山上神社
ぎんざんじょうじんじゃ
[長崎旅行] 長崎県対馬市厳原町久根田舎字御所山507  Zenrin Data Com Maps display !!


十六菊

式内社 對馬嶋下縣郡 銀山神社
式内社 對馬嶋下縣郡 銀山上神社
旧村社

御祭神
諸黒神 安徳天皇
金山彦命 『特撰神名牒』

境内 式内社 對馬嶋下縣郡 都々智神社
境内摂社都々地神社 建彌己己命

長崎県対馬市にある。
下対馬の東側、厳原町久根田舎に鎮座。
矢立山(649m)の西麓。

地図を見ながら山間の道を運転してきたが
とにかく狭くてウネウネとした道で、
対向車が来ないことを祈りながら当社前に到着。

参道や境内の木々は高く、苔生した参道が良い雰囲気。
だが、参拝当日は曇りで、境内は暗くちょっと怖い。
木々の間から、何かに見つめられているような感じ。

「銀山上」と書いて「シロカネノ」と読む資料もあるが
『平成祭データ』には「ぎんざんじょう」と記されている。

創祀年代は不詳。

式内社・銀山上神社の論社だが、
当社を式内社・銀山神社とする説もある。

『對州神社誌』には、御所大明神とあり、
昔は五所大明神とも呼ばれていたようだ。

また、続日本後紀には、大調神と記され
承和四年二月に従五位下を授けられている。
鎮座地・久根の古名を「大調」といい、
大調(おおつき)とは、大いなる調(みつぎ)のこと。

続日本紀に、文武天皇の時、対馬島に金を冶錬せしめ
大宝元年(701)初めて金を貢したので
これを慶祝して大宝という年号になったという記述があり
当社との関係を指摘する説(大宝年中の創祀)がある。

祭神の安徳天皇に関して、以下の伝承がある。
安徳天皇は壇ノ浦にて源氏の包囲を脱出し、
英彦山に潜伏して成人した。
その後、島津氏の女との間に、重尚助国の二子をもうけた。
二人は対馬に渡って宋氏となり、対馬の領主となった。
安徳天皇は対馬に迎えられ、久根田舎に皇居を定め、
七十四歳で崩御したという。

境内社の都々地神社は、式内社・都々智神社の論社。
矢立山の西麓にあり、矢立山の遥拝所と思われる。
創祀は神武天皇の時代だといい、建彌己己命を祀る。
矢立山は昔は、都々智山と呼んでいたが
後、垂仁天皇の后狭穂姫を加祭して矢立山と称するようになった。
開化天皇の孫・狭穂彦が謀反を起こして稲城に殺され
狭穂姫は逃れて対馬の佐須川に忍び住んでいた。
ある時、狩人が誤って狭穂姫の胸を射抜いてしまい死んでしまった。
その後、祟りがあったので、これを祀り
矢立山と呼ぶようになった。

鳥居に小石を載せる風習は多いが、
境内の灯籠や境内社の足もとにも小石が載せられていた。


入口の鳥居

鳥居

参道鳥居

参道

鳥居扁額

社殿


燈籠にも小石


本殿

本殿右 摂社都々地神社
建彌己己命

 当社の祭神は、神社明細帳に「諸黒神」と載せ てゐる。これは樫根の銀山神社も同じで、室黒神ともいふ が、鉱山(かなやま)の神として、異国から来た神だと伝へてゐる。鉱 山の開発に当たつて、朝鮮半島から渡来した技術者が居た にちがひないが、しかし諸黒神と考定したのは『神社大 帳』が初見であり、その根拠は明らかでない。
 『特撰神名牒』は、祭神は金山彦命と記し、『対馬島誌』 もこれを「金山彦命なるべし」としてゐる。

−『式内社調査報告』−

建彌己己命
 高魂命五世の子孫。神武天皇の時、津島県主となる。津島は対馬。

−『日本神名辞典』−

都々地神社の論社として、当社と郷崎の都々智神社が有力。
他に、『神社大帳』は久田村の丸山山頂の小祠を比定する。
根拠は不明。他にこれを支持するものも無い。

また、『神社大帳』は豆酘の尾崎山も上げているが、「今無之」とも。


最終更新日:2013/10/09
【 銀山上神社 】

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