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式内社 肥前國松浦郡 志々伎神社 旧県社 十城別命(日本武尊の御子),鴨一隼,七郎氏廣 長崎県平戸市の南端、野子町にある。 平戸の付け根・平戸大橋から383号線をひたすら南下20Km程度。 志々伎地区で19号線に変わり、10Kmほど。 正確な距離はわからないが、とにかく走っていれば迷わず到着する。 当社は、上宮・中宮・下宮・沖都宮の四社によって構成されている。 沖都宮は、19号線の突き当たり、宮之浦の港から100m程の小島にある。 現在は、港の左側から防波堤で繋がっており、歩いて渡ることが出来る。 島全体が前方後円墳の形で、社殿後方が祭神の陵墓と云われており、 禁足の聖地だったようだ。 下宮は、宮之浦港の左手の山、「ひもろぎの山」の麓にあり、 本来の当社の中心であったが、現在の中心は中宮である。 「邊都宮」「地の宮」とも呼ばれ、倉庫・武器庫の名残とされている。 中宮は、野子町の中心、志々山の中腹にある。 19号線から山中へ続く道を進み、阿弥陀寺脇に入口の鳥居。 そこから登りの参道が数百mつづく。現在の当社の中心。 山道だが、参道は広く、歩きやすい。 上宮は、志々伎山(347m)の山頂にあり、石祠がある。 中宮参道からさらに、山中へ入る。 途中から、道が狭くなり、山頂近くでは、少しだが岩場を登る。 その先は、行ってないのでわからないが。
景行天皇の筑紫巡幸の際に、宮之浦の「志式島行宮」に滞在し、
大値加・小値賀という賊を退治したとある。 (風土記では大近の大耳・小近の垂耳という土蜘蛛) 祭神の十城別命は、日本武尊の御子であり、仲哀天皇の弟。 神功皇后の三韓征伐に軍大将として参加し、 凱旋後は、警備のため、当地に駐留した。 別名・松浦明神。 中宮から上宮への道は狭い山道だが、険しい道ではない。 志々伎山も347mと低いのだ。ただ、蜘蛛の巣や蜂には、注意。 僕は2・3箇所で、大きな蜂に接近され、上宮を断念した。 頭上で、ホバリング状態で監視体制にあった蜂が、 威嚇のために接近して来たのだ。 初めは無視して、スタスタと歩き続けたら居なくなったが、 最後の岩場では、歩き続ける事が出来ず、蜂の接近で、 一時退却。水分を補給し、しばらく待って、羽音が消えた頃、 再度、岩に取り付くが、何処からか、また蜂が接近してくるのだ。 それを数回繰り返したが、結局、それ以上進むのをやめてしまった。 無念。 |