みなぎ
福岡県朝倉市荷原2421
福岡県朝倉市にある。
福岡から386号線を東へ進み、
十文字交差点を北へ。寺内ダムの近くにある。
喰那尾山(栗尾山)の麓にあり、通称、栗尾大明神。
神功皇后の熊襲平定を創始の由来とする。
当時、熊襲がこの地を本拠としていたが、
神功皇后は栗尾山に陣を敷き、これを討つ。
その後、三奈木川のほとりにヒモロギを立て戦勝を奉告したという。
式内社・美奈宜神社の論社。
小山全体が神域のような感じで境内は広い。
多くの石の小祠(末社?)がある。
参道から境内までは神社というより寺の雰囲気。
門も、寺の山門のような感じだ。
参道脇には多くの石祠がまとめて祀られている。
本殿後ろには、石祠の筑前の式内社全てが、並んでいる。
式内美奈宜神社
| 祭神 |
天照皇大神 住吉大明神 春日大明神
相殿 神宮皇后 武内宿祢を併せ祭る |
| 由緒 |
第14代仲哀天皇は白髪山を本城とする敵、「羽白熊鷲」を討つため
軍を進められていたが途中病気で急逝。しかし神宮皇后は喪を秘
して武内宿祢等を從えて喰那尾山頂(ここから北西200m)の地で陣をしき謀議
の末賊を討たれた。これはお告げをうけた三神の助であるとして
美奈宜川上「池辺」(ここから東へ300m)の地で戦勝奉告をされた。
後に仁徳天皇(神宮皇后の孫)の勅願により「池辺」にこの神を祭る
ようになった。(西暦312年頃)後世ここを「本宮」と云う。
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| 遷宮 |
| 1. | 大宝元年旧九月二十二日(西暦751年)喰那尾山頂の陣跡へ。 |
| 2. | 元弘三年(西暦1333年)大宮谷(ここから100M上)へ。 |
| 3. | 天正二年十一月(西暦1574年)領主秋月種実の頃現在地へ。 |
| 神領50町 神官社僧36人仕えていた。 |
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| 社格 |
貞観元年正月廿七日(西暦859年)「從五位上」と云う位を給う。
之は「三代実録」の文中に見える。又延喜式十巻神名帳(西暦
920年頃の書)に「筑前国下座郡美奈宜神社三座」名神大と記載あり
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| 祭礼 |
十月二十二日の「おくんち」には獅子、羽熊等お供約200人の
御神幸行列が今なほ行はれている。
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−参道案内より−
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