式内社 壹岐嶋石田郡 彌佐支刀神社
旧村社
御祭神
日本武尊
壹岐直真根子 『吉野氏系譜』
郷ノ浦港から、382号線を東へ3Km。
道路側にある志原小学校の隣に鎮座。
学校周囲の道路は新しく整備されており、
当社の周りも広い道が走っているので、
境内は明るく開放的だ。
境内に、コンクリートの池があり、中央には石祠があった。
壱岐の中心部に東西に走る低地は、
昔は沼地であったと考えられ、当社は南岸の岸に当る。
対岸の深江にも、「鶴木」という地名があり、
当地もツルキという地名であったと考えられる。
ツルキをいう地名が、剣となり、八剣となって、
祭神・日本武尊へと変化したものとの説がある。
本殿は、覆殿に覆われ、確認できないが、
瓦葺の流造のような感じ。
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由緒沿革
弥佐支刀神社(旧号八剣大明神)
御祭神 日本武尊
例祭十月廿一日神幸式神楽奉奏
| 一 |
当社は延喜式内の社にして壱岐国廿四座
の一なり。元は神度丘と云う所(神度丘と
八剣山との間百七十間也但し田圃を越ゆ)
に鎮座ありしと。社記によると嵯峨天皇
弘仁二年(八一一)辛丑十月鎮座寛文十二年
九月(一六七二)御殿の造営あり。元禄十三年
(一七〇〇)今の地に遷し奉ると。
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| 一 |
文徳天皇仁寿元年(八五一)正六位上に敍し
奉り陽成天皇元慶元年(八七七)中臣己部
両氏を参向せしめて幣を奉る。
醍醐天皇延喜五年(九〇五)に至るまで十二
回神階を進め給う。
後鳥羽天皇元暦元年(一一八四)同増位
平家追討の御祈祷に依りて也。藩主の崇
敬厚き神社にして例祭日には代参奉幣の
儀あり又祭日毎に祭米供進あり。
明治九年十二月四日村社に列せらる。
正殿は明治十八年四月廿五日改築せるもの。
明治廿九年九月神輿を購入。
現社殿は大正三年春の新築なり。
拝殿に横額あり「忠孝」の二字あり。
享保七年五月(一七二二)之を掛くと。
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−境内案内より−
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