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高千穂神社
たかちほじんじゃ
[宮崎旅行] 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037  Zenrin Data Com Maps display !!


十六八重菊

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式外社 高智保皇神 続日本後紀
旧村社

御祭神
高千穗皇神 天津彦火瓊々杵尊 木花開耶姫命
彦火火出見尊 豊玉姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命

配祀
十柱大明神 三毛入野命 鵜目姫命
太郎命 二郎命 三郎命 畝見命 照野命
大戸命 靈社命 淺良部命 他七柱を合祀

高千穂町の中心から高千穂峡へ向う道の途中にあり、
道路標識の案内通り進めば到着する。

道路脇に褐色の鳥居があり、参道を進み、階段を登ると境内。
木々に囲まれた神域。
参拝時は、小雨が降っていたのだが、
それが、ほどよい静寂を際立たせ、青葉の匂いを濃密にする。

当社は、高千穗皇神を主祭神とし、天孫・瓊々杵尊以下日向三代の皇祖を祀る。
また、神武天皇の兄・三毛入野命夫婦と八柱の御子あわせて十柱を合せ祀り、
明治までは、十柱大明神と呼ばれていた。

天慶年間(938−47)、豊後大神氏から養子に入った政次が三田井家を興し、
十柱大明神を、高千穂八十八社の総社として崇敬した。
創建由来はともかく、実質的には三毛入野命が主祭神だ。

夫婦神と八柱御子という図式は、
京都八坂神社素盞嗚尊(牛頭天王)のようだ。
この場合の「八」は、単に、多いということかもしれないが。

明治に入り、廃藩置県の過程で、当社の社格は変化する。
延岡県・美々津県の時代には、県社であったが、
宮崎県になって、村社に降格してしまう。なぜだろう。

当社の祭礼に、「猪懸祭」というものがある。
高千穂一帯に災いをなしていた「鬼八」という鬼神を、
十柱大明神が退治・鎮圧したが、鬼八の霊は幾度も甦り、産業への被害が続いた。
そこで、毎年日之影町岩井川の狩場で獲れた初猪を鬼八塚に供え、
荒ぶる御魂を鎮めたのが始まりという。

祭神が、敵対する勢力を平定・鎮圧した後、その霊を祀るという図式は、
非常に興味深いものがある。
そういった霊を鎮め祀ることが本質、神社創建の主目的であるようにも感じる。
たとえば、吉備津の温羅にしても、そんな印象。
出雲大社は、征服された出雲族の長を祀っていると公言している。

また、鬼八の「八」と、八柱御子の数の一致も、意味ありげだ。

入口鳥居前に、道路案内がある。
鳥居右手から駐車場へ向う道があるので、そこで車を止める。

階段を上ると社殿があり、その前には左右に苔むした石祠。

本殿には巧みな彫刻が施されたいるが、
祭神・三毛入野命が鬼八を退治する場面をあらわしているらしい。


社号標

境内入口の鳥居と道路標識

参道階段

境内

階段上に社殿

拝殿の額

境内

拝殿

本殿

本殿彫刻

社殿左手には、荒立神社・四皇子社が祀られている。
荒立神社祭神は、猿田彦命天鈿女命
四皇子社祭神は、五瀬命・稻飯命・三毛入野命・神日本磐余彦命
大神惟基・事勝國勝長狹命大年神・羽居高天神・比波里天神を合祀している。

境内に鎮石があるが、社伝では鹿島神宮の要石は当社から贈られたもの。
また、樹齢八〇〇年の秩父杉や、夫婦杉などがある。


社殿前の石祠

鎮石

社殿前の石祠

荒立神社・四皇子社

鎮石

秩父杉

夫婦杉

 当宮は初め高智保皇神と申し上げて、 この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊木花開耶姫以下三代の神々をお祀り し、千百余年前の仁明・清和両朝には 日向国最高の御神階が授けられたことが 六国史に記されております。
 神武天皇の皇兄三毛入野命が御東征の 途次高千穂に帰られて日向御三代をおま つりされたのが初めで、その子孫が長く 奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八 柱の御子とを合祀して十社大明神の神名 で親しまれ、古くより高千穂八十八社の 総社として崇められてきました。
 源頼朝は畠山重忠を代参として多くの 宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年 を経た今も社頭高くそびえています。
 文永、弘安の役には勅使が見え、南北 朝の頃征西将軍懐良親王御祈願等、古記 録や宝物も多数残っています。
 天正年間三田井氏が滅んで延岡領とな りましたが、歴代藩主はそれぞれ社領を 寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に 及びました。
 大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家 の皇族の御参拝もあり、昭和四十六年七月 一日別表神社に列せられました。
 天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮 は、今日では国運の隆昌と、縁結び、交 通安全、厄除けの神さまとして広く信仰 されております。
 例祭日 四月十六日
 猪懸祭 旧暦十二月三日

−参道案内板−



当宮は初め高智保皇神と申し上げて、この地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊木花開耶姫以下三代の神々をお祀りし千百余年前の仁明・清和両朝には日向国最高の御神階が授けられたことが六国史に記されております。神武天皇の皇兄三毛入野命が御東征の途次高千穂に帰られて日向御三代をおまつりされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されて後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを合祀して十社大明神の神名で親しまれ、古くより高千穂八十八社の総社として崇められてきました。源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年を経た今も社頭高くそびえています。文永・弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良親王御祈願等、古記録や宝物も多数残っています。天正年間三田井氏が滅んで延岡領となりましたが歴代藩主はそれぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族の御参拝もあり、昭和四十六年七月一日別表神社に列せられました。天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂宮は、今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、厄除けの神さまとして広く信仰されております。

−『平成祭データ』−



最終更新日:2013/10/09
【 高千穂神社 】

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