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 つま
[宮崎旅行] 宮崎県西都市大字妻1

式内社 日向國兒湯郡 都萬神社
日向國総社
旧県社

木花咲耶姫命

西都原古墳郡の東。南には国分の地名もあり、
古代の中心地。日向國総社であった。
現在も近くに西都市役所がある。
東には一ッ瀬川も支流、桜川が流れている。

敷地はかなり広く、公園になっており、
南と東に大きな鳥居がある。

太古、妻満川のほとりに住む夫婦の二神(妻満神)が、
宮を建て、住んでいた。
宮の西方の清らかな流に、稲の種がひとりでに生じた。
二神は、その種を植え、田を開き、管理した。
これが「初農業従此始」だという。

また、庚午年11月19日、庚午の日、
土の中から、男一人、女一人を掘り出し、
当社の祭祀を行わせた。日下部氏の誕生である。

日本酒発祥の地。境内は一段高くなっている。境内自体はそれほど広くはない。


都萬神社案内
この神社は天孫ニニギの尊の妃木花咲耶 姫を祀り都萬神社または妻萬宮と申します 祭神木花咲耶姫はオオヤマズミの命の姫 君でニニギの尊との御結婚にはコトカツ クニカツナガサの神が媒酌をとりもち 日本最初の正式な華燭の式典を挙げら れました。故に古来からこの結婚の喜び にあやかりたいと崇敬の厚いお宮であります 祭神木花咲耶姫は青島神社のヒコホホ デミの尊の母君鵜戸神宮のウガヤフキアエズ の尊の祖母君にあたり宮崎神宮の神武 天皇の曽祖母で日本民族の彌来をもた らせた国母神でありますから女性の守護 神お産の神と敬い家内安全の祈願に 参拝の多い神社であります。
西都原御陵参考地の正面にある女狭穂塚 はこの神社の祭神木花咲耶姫の御陵と つたえられています。

−境内案内−

都万神社 宮崎県西都市大字妻。旧県社(現、別表神社)。 木花開耶姫命を祀る。創立年代不詳。『続日本後紀』によると、承和四年(八三七)八月朔、官社に預かっている。『三代実録』によると、天安ニ年(八五八)一○月二二日に従五位上から従四位下が授けられている。延喜の制(九二七)には小社に列し、祈年の国幣に預かった。中世には、妻宮,妻万宮・日向総廟五社大明神などと称され、武家、領主の尊崇が篤かった。建久の頃には、九八丁の神領を持っていたといわれる。天正年間、島津義久が社殿を改築したという。慶長六年(一六○一)九月一四日、佐土原藩主島津氏は、供田三一五石五斗四升八合を寄進、神人三○戸を定めるとともに、年問七五度の祭祀を厳修させたと伝えられている。当社は、一ツ瀬州の中流域に発達した神社であり、この付近は、西都原古墳群で有名な場所である。またこの地には、国府が置かれ、その後、急速な発展を遂げた社である。鎌倉時代に入ると、日向国四式内社の中では、最も多く社領を持つようになり、その後、実質的には、最も実力のあった社となった。また往古、末社四四社、神官三○余家、社僧二家あったともいわれている。明治六年(一八七三)、県社に列格した。境内の大楠は、天然記念物に指定されている。例祭二月一八、一九日。神輿渡御の神幸があり、つくり人形や舞踏などの催しがあり、全市をあげてのにぎやかなものである。旧暦の七月七日には、更衣祭、旧暦一一月二日には鎮火祭が行われる。当社は、また妻万の音読から「さいまん様」と称され、市民に親しまれている。

−『神社辞典』−