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厳原八幡宮神社
いづはらはちまんぐうじんじゃ
長崎県対馬市厳原町中村字清水山645
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式内社 對馬嶋下縣郡 和多都美神社 名神大 |
長崎県対馬市にある。
対馬の玄関口・厳原港のそば。
このあたりは、対馬では一番賑っている町だ。
清水山の麓に鎮座。清水山は神功皇后が祀った山だという。
382号線に面して、東向きに境内入口。
社前は有料の駐車場になっている。
駐車場に「八幡宮神社」と刻まれた社号標があり、
「折入れ菱に桐」の紋も刻まれていた。
鳥居をくぐり駐車場の道を進むと鳥居があり、左右に階段。
右の階段を登ると、神門があり
神門の奥に社殿。
境内に式内社あるいは論社は、本社を含めて3つ存在する。
創祀年代は不詳。
嘉暦三年(1328)再興の棟札があり、
14世紀以前に勧請されたことがわかる。
境内案内によると、
神功皇后三韓征伐のおり、清水山に行幸ありて
神籬磐境を定めた地であるといい、
天武天皇白鳳四年の勅によりて社殿を造営したとある。
国府八幡宮ともいい、対馬一宮と崇敬される神社。
当社は、明治初年、和多都美神社と称し、式内社を主張していたが、
明治23年、八幡宮に戻し、現在は式内社を主張していない。
境内の左手階段上には境内社の今宮・若宮、天神社。
さらに式内社・宇努刀神社。
神門奥の参道脇には小祠が並び、
拝殿近くには、式内社・平神社がある。
境内入口の鳥居 境内は有料の駐車場、奥に二基の鳥居 左手が境内社、右手が本殿へ向かう鳥居 |
境内社への鳥居 | 本社へ向かう階段と鳥居 |
階段上の神門 | 境内 |
拝殿 | 本殿 |
境内右手の今宮・若宮 | 天神社 |
社号 八幡宮神社 (厳原八幡宮神社)旧県社 祭神 神功皇后 仲哀天皇 應神天皇 姫大神 武内宿禰 例祭日 旧暦八月十三日 前夜祭 旧暦八月十四日 前夜祭 旧暦八月十五日 本祭 神幸式放生会 本社は神功皇后三韓御征伐の時対馬國に御着船ありて上県郡和珥の津より三韓に渡り給ひ三韓を平げ給ひて凱還の時清水山に行幸ありて此の山は神霊の止まるべき山と宣ひ神鏡と幣帛を岩上に置き皇后親から天神地祇を祭りて永く異國の寇を守り給へと祈り給ひて神籬磐境を定め給ひし所と伝ふ。天武天皇白鳳四年の勅によりて同六年茲に宮殿を造らしめ給ひて五柱の御神霊を鎮祭ありて八幡宮神社と稱し奉る。明治七年六月社格郷社に列せられ大正五年十一月二十六日県社に昇格す。 −境内由緒(誤字抜字のまま)− |
境内の宇努刀神社は式内社。
「宇努刀」と書いて「うのと」と読む。
神功皇后三韓征伐のおり、対馬の北端豊村に着船し
島大国魂神社を拝し、その後
佐賀村に、島大国魂神社の分霊を、皇后自ら祀った社。
延徳三年六月十四日、佐賀村より八幡宮境内に遷座されたという。
島大国魂神社の祭神は素盞嗚尊と考えられており
同じく素盞嗚尊を祀る京都祇園の八坂神社より
当社も祇園社と呼ばれている。
宇努刀神社 須佐男命 |
社号 宇努刀神社 (祇園社)旧村社 祭神 須佐男命 例祭日 旧暦六月十五日 本社は神功皇后新羅征伐畢らせ給ひ凱還の時上県郡豊村に着給ひて島大国魂神社を拝し夫より佐賀村に着せられ此の地に島大国魂神社の神霊を分つて皇后親から祭り給ふ。 是延喜式神社名帳に載る上県郡宇努刀神社定なり延徳三年六月十四日佐賀村より下県郡厳原町八幡神社境内に遷し祭る。 明治十三年十一月十二日 社格村社に列せらる。 −境内由緒(誤字抜字のまま)− |
拝殿近くにある平神社も式内社に比定されている古社。
『對州神社誌』には軍大明神とあり、軍殿社とも呼ばれていたが
八幡宮境内摂社である太神宮、新霊、若宮と当社の四社を合わせて
平神社としたもの。
よって、当社が式内社・平神社であることに疑問を呈する意見も多いようだ。
平神社 天穗日命 日本武尊 仁徳天皇 莵道皇子 |
社号 平神社 旧村社 祭神 天穗日命 仁徳天皇 日本武尊 莵道皇子 例祭日 旧暦八月十五日 本社は瓊々杵尊の朝天日神命津島県主たりし時に祖神天穗日命を祭られしなり其の後日武尊仁徳天皇莵道皇子の三神を加祭す。 延喜式神名帳にのる下県郡平神社是なり。 明治十三年十月十二日 社格村社に列せらる。 −境内由緒(誤字抜字のまま)− |