みやざき
宮崎県宮崎市神宮2−4−1

旧官幣大社

神日本磐余彦尊
配祀 鸕鷀草葺不合尊,玉依姫命

宮崎市街の中心。周りの道路は渋滞しているが、境内は非常に静かで落ち着く。

規模は違うが、社殿の雰囲気は、やはり橿原神宮に似ている。


宮崎神宮(神武さま)旧官幣大杜
宮崎市神宮町 日豊本線宮崎神宮駅より○・五粁 祭神 神日本磐余彦尊(配祀)鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命
例祭 一○月二六日 神紋 菊花 本殿 流造 九坪 境内 七八、九○七坪
攝末社 二社 宝物 御神号二(熾仁親王、彰仁親王の書)、懸幅二(依仁親王、威仁親王書)、額面(威仁親王書)
崇敬者 県内外多数
神事と芸能 神武天皇祭に神事流鏑馬四月三日、例祭に引続き一○月二七日より一○月二九日まで御神幸祭
由緒沿革 此の地は古史の所謂高千穂宮の霊地であって神武天皇の御遺跡である、社伝によると神武天皇の皇子神八井耳命の御子建磐竜命が筑紫の鎮守となられ此の地即ち神武天皇の都せられた跡に天皇の神霊を鎮祭し給うたのに創まると云う。建久八年地頭土持太郎信綱が社殿を造替し、文明五年伊東祐国は蓮ケ池、下北方の両地より社領を、更に永禄五年伊東義祐下北方及江平の地にて神地を奉献した。献進の事あり、次いで天正五年島津義久が米穀及び御祓料を献進、寛永二一年領主有馬康純が社殿造営を行った。武将の崇敬深い古社である。明治六年県社に列し宮埼神社と改称、次いで同八年国幣中社に、同一一年宮崎宮と改め、同一八年官幣大社に昇格した。大正二年宮崎神宮と改称す。(神社本庁別表神社)

−『神社名鑑』−