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常磐神社
ときわじんじゃ
[茨城旅行] 茨城県水戸市常磐町1−3−1  Zenrin Data Com Maps display !!



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旧別格官幣社

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御祭神
たかゆずるうましみちねのみこと
高讓味道根之命(徳川光圀公=義公)
おしたけおくにのみたてのみこと
押健男國之御楯命(徳川斉昭公=烈公)

茨城県水戸市にある。
水戸駅の西2Kmほどの常磐町に鎮座。
境内入口正面に、偕楽園口駅という臨時駅があるが、
観梅と萩まつりの期間中にしか開設されないらしい。
ということで、偕楽園の東に付属している形の境内。
社前から千波湖が東へ広がっている場所。
車で参拝する場合は、境内の東側に有料の駐車場がある。

境内入口に大鳥居が建ち、階段を登ると境内。
大鳥居の右手に、御田があり、農人形が迎えてくれる。
階段を登ると境内右手には、
二祭神のおくりな義公・烈公からとられた義烈館がある。

参道を進むと正面に社殿。後方に本殿がある。
参拝は休日の朝。境内では朝の掃除中だった。
十一月の晴れた休日なので、絶好の七五三日和。
参道には早くも出店が並んでいた。

当社の創建は明治六年。正確には、明治の初年に、
第二代水戸藩主である徳川光圀公(義公)と
第九代水戸藩主である徳川斉昭公(烈公)の
徳を慕う人々が、偕楽園内に祠堂創立。
明治六年(1973)勅旨にて常磐神社の社号を賜り、
明治七年(1974)現在地に社殿が造営された。

第二代水戸藩主である徳川光圀公は、
徳川家康公の孫で、『水戸黄門様』として有名な天下の副将軍。
寛永五年(1628)に水戸藩家老である三木之次の屋敷で生まれ、
学問を奨励し、『大日本史』の編纂を行った名君。
ちなみに、光圀公自身は、諸国漫遊を行った事実はないが、
安積覚兵衛と佐々介三郎は、この『大日本史』史料収集のため、
各地に派遣されたといい、それが転じて、『水戸黄門』の物語となったようだ。

第九代水戸藩主である徳川斉昭公は、
寛政十二年(1800)江戸藩邸で生まれ、
幕末にあって、藩政改革を進め、水戸学を育てた名君。
公の、農を尊ばれた事は有名で、
朝夕食には、小さな農人形を膳の上に置き、
はじめの一箸を、その笠の上に供えて、農作業の労苦をしのばれたという。

徳川御三家の一つ、水戸藩主を祭る神社なので、
神紋も、もちろん葵の御紋。


境内入口

御田

農人形

境内

本殿

拝殿

拝殿

能楽殿

常磐神社
御祭神は水戸第二代藩主徳川光圀公(義公)と 第九代藩主徳川斉昭公(烈公)の二柱で明治六 年に、おまつり申し上げました。
光圀公は「彰考館」を設けて各地から多くの学 者を集め「大日本史」を編集して文教を盛んに し 湊川に有名な「嗚呼忠臣楠子の墓」を建て るなど、天下の名君として仰がれ今もなお 「水戸黄門様」として親しまれています。
斉昭公は光圀公の遺訓を受け継がれ、幕末に かけて欧米の極東進出に対し国防の充実につ とめ、今日の総合大学である藩校「弘道館」を 開いて国家有為の人材を養成されました。
また日本三公園の一つである「偕楽園」は斉昭 公の「民と偕に楽しむ」という志しから造られ ました。
明治の新しい時代を開いた「水戸学」は御祭神 両公の思想をもとに起った学問で、吉田松 陰、真木和泉守など維新勤皇の志士は水戸に来 て教えを受けました。
今も御祭神の神徳を慕い学問の神様として 篤い信仰があります。

−境内案内板−


境内入口から参道の階段を登ると、
右手に、「陶器製造所跡」の石碑。
さらに登ると、参道の左手に、東向きの摂社・東湖神社がある。

昔、山田風太郎の作品にはまっていた時期がある。
その作品の中で、強く心に残っている一書。
魔群の通過』 というその本は、水戸天狗党の顛末を記したもの。
幕末の水戸藩内で起った内戦から、三千名の天狗党が、
京を目指す冬の行軍。幕府に追われ、離散していく仲間たち。
残った志士達も、結果的には、処刑されてしまう。
新撰組よりも、さらに悲惨な幕末の群像であるこの天狗党に、
この藤田東湖の子・藤田小四郎が参加しており、重要な役割を担っている。

ということで、この社の名を見た時に、
遠い昔に読んだ小説が、当時の感動とともに甦って来た。


摂社 東湖神社

東湖神社

東湖神社
御祭神・藤田東湖命(一八〇六〜一八五五)
幕末の水戸学者 藤田幽谷の子 本名彪
御例祭・五月四日
御神徳・学業成就・智恵授け
 父幽谷の水戸学を受け継いで実践し、斉昭 公を助けて藩政改革、兵器軍艦の建造に活躍。
 公の幕政参与に従って海防策を進言するな ど、その活動は幕府からも注目された。
 その著「弘道館記述義」は会澤正志斉の「 新論」と共に水戸学を代表する文献として、 全国に広く伝写され、明治維新の志士達の教 典となった。
 安政の大地震で老母をかばい亡くなられた。 斉昭公への忠誠と共に、藤田父子の水戸学に 残された足跡は大きい。

−境内案内板−


拝殿の左手の通路を越えて入ると、
水戸光圀公の育ての親である三木家を祀った三木神社。
さらに、本殿の裏側には、傳萬世の碑や、仰景碑などがある。


三木神社

常磐稲荷

陶器製造所跡の石碑

傳萬世の石碑

仰景碑

万世に伝う碑の由来
水戸第九代藩主徳川斉昭公(烈公)は幕末 諸外国が我が国海辺をうかがうを憂いて、国 防の充実に努められ種々の新兵術、新兵器 を考案されました。
殊に我が国には騎砲の技が行われていないのを遺憾 とされ、馬の乗りようと鉄砲の撃ち方まで 工夫研究されて、これを神発流と名付けられました。
この碑は水戸の砲術唯心術の伝来を神 発流への発展の由来を記したものです。

−境内案内板−


仰景碑の由来
この碑は水戸第九代藩主徳川斉昭公(烈公) の仁政愛民を感謝して、旧常盤村の有志がその 御恩に報いようと農事にはげみ御陰講の 集いを結び、その志を受けついだ子孫の方々が 明治七年常盤神社御創建の際、その講社 の貯えで杉苗三千本を奉納し植栽したいわれ が記されています。
文章とその書は大日本史編修の最後の 完成に務めた東京帝国大学教授栗田寛博士 によるものです。

−境内案内板−



最終更新日:2013/10/09
【 常磐神社 】

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