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式内社 上野國甘楽郡 貫前神社 名神大 上野國一宮 旧國幣中社 御祭神 経津主神 比賣大神 天竺の女神(抜鉾大明神) 『神道集』 稚日女尊 相殿 経津主命 『一宮巡詣記』 経津主神 配祀 大日孁尊 『明治十年神社明細帳』 一之宮貫前神社公式サイトを開く |
上信電鉄上州一宮駅の西1Kmほど。
南の道路から階段を上ると赤い大鳥居がある。
通常は、東の鳥居から車道を登ると、総門の前の駐車場へ。
総門をくぐると、下りの階段が参道となっており、
社殿を見下ろしながらの参拝となる珍しい形式。
同じく階段を下る熊本の草部吉見神社の案内には、日本三大下り宮として、
当社と、草部吉見神社、宮崎の鵜戸神宮が紹介されていた。
中世以降、抜鉾明神と称される場合が多いが、
貫前神とは、本来は別の神。
つまり、「抜鉾」「貫前」の二神を祀る神社だった。
「抜鉾」が男神・経津主神、「貫前」が女神となる。
『神道集』では、当社・貫前神社の祭神は、女神であったとし、
南天竺狗留吠国の長者・玉芳大臣の五女。
また、笹岡山(荒船山)の峯に船を逆さに伏せ、その船の中に保った河水は、
火の雨が降るときにこの水で消すべしと誓ったという。
水神・水源神、あるいは周囲の火山に対する対処神かもしれない。
また、一之宮であった赤城大明神が、
財の君である、この女神を他国へ渡してはならないと、
女神に一之宮を譲ったという。
さらに、赤城神が絹機を織っていたが、絹笳が不足したが、
この女神から借りて織り上げたとも。
ということで、当社の女神は、水神・財神・機織の神と実に多彩だ。
当社の西方に荒船山(荒船神社)があり、東方には小舟神社がある。
小船神社は、当社の祓戸とされ、東西のライン、荒船−貫前−小舟が女神の系譜。
当社の本殿には「雷神小窓」という緑色の雷神を描いた窓があり、
南方の稲含山(稲含神社)の方向を向いている。
また、北方には咲前神社があり、前宮・鷺宮とよばれている。
いずれも経津主神を祭神とし、南北に武神・雷神のライン、稲含−抜鉾−咲前が存在する。
当社はその二本のラインのクロスする、非常に興味深い位置に存在する。