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熊野神社
くまのじんじゃ
[神奈川旅行] 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1−1−2  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

旧郷社

御祭神
國常立尊 伊弉諾尊 伊弉冉尊
配祀
素戔嗚尊 天照大神 大己貴命 少名彦名命
合祀
倉稻魂命 武御名方命 速玉之男命 船玉之神

神奈川県横浜市にある。
京浜急行の仲木戸駅の南、歩いて100mほどの神奈川区東神奈川に鎮座。
仲木戸駅から海の方向へ進み、15号線の手前で西に入ると当社境内。

境内入口は南東向き。
石の大鳥居が建ち、鳥居の左右に立派な狛犬。
鳥居をくぐり境内に入ると、右手に手水舎、左手に舞殿。
参道正面に朱の社殿がある。

拝殿は銅板葺入母屋造。扁額には「熊野大神」と記されている。
拝殿背後の本殿は、美しい流造。
現在の社殿は戦後に再建されたものらしい。

本殿の左横を進むと境内の裏門があり、
道を挟んで金蔵院という寺がある。
かつて当社は、この金蔵院に所属していた神社。
金蔵院は平安末期、京都醍醐寺三宝院の開祖・勝覚僧正が開き、
江戸時代には徳川家康より十石の朱印地を許された古刹。

本殿右手後方には樹齢四百年の公孫樹の木があり、
横浜市の名木古木に指定されている。
木の中央部に洞があり、少し焦げているような感じだった。
この公孫樹は慶応四年(1868)の神奈川大火や昭和二十年(1945)の戦災で焼失し
その後、見事に再生したため「火伏のイチョウ」と呼ばれている。

当社の通称は権現様。
社伝によると、寛治元年(1087)六月十七日、
右大臣源師房の孫・左大臣源俊房の子、京都醍醐寺三宝院の開祖・勝覚僧正が
紀伊国牟婁郡熊野に坐す熊野権現を勧請し、
神奈川郷の総鎮守として権現山(現幸ケ谷公園)に祀ったのが当社の起源。
熊野三社大権現と号していたという。

後三年の役に、源義家が当社に社参され、
帰途再び当地に立寄られて、この地を幸ヶ谷と名付けたという。

その後、明応三年(1494)六月、
上杉家の家臣・上田蔵人によって再建されたが
永正七年(1510)六月二十日、権現山合戦の兵火にかかり烏有に帰し、
その後、再建されたが、正徳二年(1712)六月、
権現山の崩壊により、金蔵院境内に遷座。
明治の神仏分離により金蔵院から分離されたという。

明治十七年に郷社に列せられた。

当社の神紋は、賽銭箱や拝殿前の提灯などに見られる三つ巴紋。
『全国神社名鑑』には「左三つ巴」と記されている。

境内の右手に金刀比羅社、大鳥社、稲荷社、香取社、鹿島社を合祀した境内社。
その脇に稲荷や馬頭観世音などを祀った石碑がある。
また、本殿後方の公孫樹の脇にも稲荷を祀った石祠や石碑が祀られている。


舞殿

手水舎

境内

拝殿

本殿

社殿

境内後方に金蔵院

御神木・火伏のイチョウ

稲荷社

合祀社

当社の御創建は、寛治元年六月十七日(一〇八七年)に醍醐三宝院宮勝覚僧正が、紀伊国(和歌山県)牟婁郡熊野に坐す熊野権現(官幣大社熊野本宮大社)の神霊を分祀、神奈川権現山(現幸ヶ谷山上)に社祠を創立、神奈川郷の総鎮守として、熊野三社大権現と号し奉る。
口碑によれば、後三年の役に、源義家公、社参せられ、帰途再び当地に立寄られ、この地を幸ヶ谷と名付けられたと伝へられる。
その後、応永五年、山賊等のため社祠を焼かれ、僅に草祠ばかりが存していたが、明応三年六月(一四九四年)、上田蔵人が普請奉行となり、宏壮なる社殿が再建せられた。
又、永正七年六月二十日(一五一〇年)、権現山合戦の砌、兵火に罹り、烏有に帰してしまった。
次で、天正五年六月(一五七七年)、時の別当恵賢僧都等が相はかり社殿を建立し奉る。
天正十年七月、徳川家康公北条氏を御坂黒駒に討ち給いし時、別当が社前に侍し、秘法を修し奉りしことなど、徳川家との関係深く、別当金蔵院に武州小机領神奈川郷の内、御朱印高十石を賜ったので、代々登城し、御祈祷の宝牘(ほうとく[おふだ])を献上し奉ったと伝へられる。
その後、正徳二年六月(一七一二年)、山上が逐次崩壊により、別当金蔵院の現地へ遷し奉り、旧地には小祠を安置し、社地三反八畝十歩を有していたが、明治四年、之を上地す。
慶応四年一月七日(一八六八年)、神奈川大火により烏有に帰したが、逐時再建整備し、明治十七年に郷社に列せられ、明治四十年四月、神饌幣帛料供進社に指定せらる。
昭和十一年八月、御鎮座八百五十年祭を斎行、二十数台の山車が町内を巡行し、盛大なる祭礼が繰りひろげられた。
昭和二十年五月二十九日、戦災により焼失、剰え、境内地をも駐留軍に接収せられたるため、やむを得ず西神奈川一丁目(二ツ谷町共有地)に遷座、仮殿にて奉祀す。
同二十七年八月、宮神輿を奉製、その後、接収解除となり、再建復興に努め、同三十八年八月、現社殿を完成。遷座祭を奉仕し、玉垣、社務所を整備、翌三十九年八月、竣工奉祝祭を執行した。
その後、四十一年十一月、地区内戦没者慰霊碑を建立、同四十九年八月再建十周年記念事業として、舞殿並に氏子会館の増改築工事を完成した。
昭和六十一年、御鎮座九百年祭に当り、記念事業奉賛会を結成し、氏子二十四ヶ町の氏子並に崇敬者各位の熱誠奉仕により、御社殿の修復、手水舎の新築、神輿、神輿庫の修理増築、参道敷石、氏子会館の修理、裏門〆柱等を完成し、社域の整備を達成した。謹んで御事歴の概要を誌し奉る次第であります。

−『平成祭データ』−


当社の旧社地・権現山は神奈川駅の近く、洲崎大神の背後の丘で、
今は幸ケ谷公園と呼ばれている。

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戦国時代、上杉家の家臣・上田蔵人が北条早雲に味方して謀反を起こし
この山上に砦を築いたという。
幕末から明治にかけて、お台場や鉄道用地の埋め立てのため
山は削られて低くなったらしい。


旧社地、権現山(幸ケ谷公園)


最終更新日:2013/10/09
【 熊野神社 (横浜市神奈川区) 】

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