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大間々神明宮
おおまましんめいぐう
[群馬旅行] 群馬県みどり市大間々町大間々2245  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

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旧郷社

御祭神
大日孁命 豊受毘売神

群馬県のみどり市(旧大間々町)にある。
わたらせ渓谷鉄道わたらせ渓谷線・大間々駅の北東、
渡良瀬川の高津戸峡の「ながめ公園」の脇に境内がある。

境内から高津戸峡を見渡せる場所があるのだが、
樹木が密生して、何も見えなかった。
境内の近くにある、「はねたき橋」や周辺の遊歩道に行けば
美しい写真が撮れるかもしれない、と思いながら参拝し、
参拝を終えたら、すっかり忘れてしまって、残念ながら写真はない。

境内入口は南西向き。
338号線から、緩やかに下る参道があり、境内入口には石造の神明鳥居。
鳥居をくぐると、左手に手水舎。境内右手に神楽殿。
広く美しい境内の奥に、神明造の社殿がある。

境内の由緒書によると、鎮座六百五十年、中興遷座四百年の記念事業として
平成十二年に社殿が新築されたようで、社殿の右手に旧社殿らしき祠がある。

社殿の背後は、渡良瀬川。
境内の左右には林が広がり、散策路になっているようだ。
木漏れ日の射す晩秋の林は、とても気持ちが良い。

拝殿の扁額には「皇大神宮」とあるが、当社の正式名は神明宮。
ただ、御朱印に鎮座地の「大間々」が筆書きされていたので、
当サイトでは、大間々神明宮としておく。

社伝によると、南北朝時代の貞和三年(1347)、
現在地の東100mほどの渡良瀬川の伊勢ケ淵岩頭に、
天照皇大神が文袋坊によって祀られ、
黒川郷(渡良瀬川流域の里)の一宮として崇敬された神社。

慶長二年(1597)大間々町の鎮守として、現在地に仮宮をたて、
慶長四年(1599)正式に遷座したという。

境内の左手奥には、貞和三年に祀られた石祠が、
御隠居様として祀られている。

元地、伊勢ケ淵の名は、当社が鎮座していたためとする説の他に、
天正六年九月、金田城主由良成繁が、当社対岸の山頂にあった
高津戸城の里見氏兄弟を攻め滅ぼした時、里見勝政の妻、伊勢の方が、
殿に殉じて入水自害したことに由来するとする説もあるらしい。

慶長四年以来、明治十二年まで、二十一年目毎に社殿の建て替え、
または修復などの式年遷宮が行われていたが、
明治二十年、大間々町の大火で社殿を焼失。
ただちに再建されたが、明治二十三年、再度の火災に遭い、
社殿を縮小して再建された。

現在の社殿は、平成十二年に再建された総桧造。

正徳五年(1715)外宮 豊受大神の分霊を合祀し、
天保七年(1836)酒井石見守(二万五千石)は上州領分五千石の祈願所とし、
勢多郡下の勧化が許可され、明治五年十一月、
一町十八ケ村の惣鎮守として郷社に列した。

『平成祭データ』には、須佐之男大神を合祀と記されているが、
これは境内左手の八坂神社のことだろうか。
また『明治神社誌料』には、合殿に大己貴神社、白峯宮の名がある。

境内の左手に稲荷社、八坂神社、愛宕社の他に、
元地に祀られていた石祠・御隠居様が祀られている。
境内右手には八幡社。さらに左手奥に進むと、弁天社がある。

境内にはその他にも石祠がいくつかあるが、詳細は不明。
『明治神社誌料』には、以下の境内社の名が載っている。
倉稲魂神社(稲荷様)、罔象女神社、大山祇神社、火産霊神社(愛宕様)、埴山姫神社、
手力雄神社、産霊神社、伊弉冉神社、阿夫利神社、火雷神社、
木花開耶姫神社、日本武神社、素盞鳴神社(天王様)、猿田彦神社、天兒屋根神社、
誉田別神社(八幡さま)、厳島神社(弁天様)、菅原神社、大山咋神社。


社頭

鳥居

神楽殿

境内

社殿

社殿

社殿

本殿

旧社殿

稲荷様

天王様(八坂神社)

愛宕様

御隠居様(最初の石宮)

境内

八幡様

弁天様

神明宮の由緒
祭神大日孁命(天照皇大神)
豊受毘売神
例祭日四月 十日(四月第二日曜日)
十月十五日
社殿神明造
本殿六坪 幣殿九坪 拝殿十五坪
 神明宮は渡良瀬川が足尾山地より流れ出て平野となる大間々扇状地の高津戸峡 を眺望する所に位置する。境内地からは多くの縄文式土器や弥生式土器、蹈鞴の 鉱滓が出土し、周囲の土地は古代からの谷地を利用した田畑があり、伊勢神宮の 御厨か大蔵保と思われる。

 南北朝時代の貞和三年(一三四七)境内地の伊勢ケ淵岩頭に天照皇大神の 神社を文袋坊により、黒川郷(渡良瀬川流域の里)一の社としてまつられる。
 慶長二年(一五九七)大間々町の鎮守様として現在のところに仮宮をたて、 慶長四年(一五九九)中興遷座をする。以来、明治十二年に至るまで 二十一年目毎に社殿を建て替え、又は、修復工事をなし式年遷宮を行っていた。 この間、正徳五年(一七一五)外宮豊受大神の分霊を合祀し、天保七年(一八三六) 酒井石見守(二万五千石)は上州領分五千石の祈願所となし勢多郡下の勧化を ゆるされる。明治五年十一月、一町十八ケ村の惣鎮守として郷社に列する。

 明治二十年大間々町の大火により社殿を消失し、氏子達は焦土のなか再建 するが、同二十三年再び火災に遭い、氏子の経済的負担が大きいため 社殿を縮小し建立する。その後、郷社神明宮にふさわしい社殿の建て替え 計画は昭和の大恐慌や、終戦の混乱と物価の高騰により建築を断念する。

 鎮座六百五十年、中興遷座四百年の記念事業として、 多くの氏子崇敬者に神社建設資金の御寄進を賜り、 平成十二年五月二十日、国内産桧を用い御社殿の完成をみる。

 尚、向拝に掲げてある御神号「皇大神宮」は、十三代将軍徳川家定の 御台所である篤姫の養父従一位近衛忠煕が揮毫したものである。

 境内末社には大間々町の絹市の神である、八坂神社がまつられている。五穀豊穣、 産業発展、疫病予防を願う大間々祇園祭りは、毎年八月一、二、三日に行われ、 沼田、世良田とともに上州三大祇園祭りといわれている。

−境内由緒書−



最終更新日:2014/07/22
【 大間々神明宮 (大間々町) 】

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