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式内社 下野國都賀郡 村檜神社 旧郷社 御祭神 譽田別命 熊野大神 大山咋命 |
栃木県岩舟町にある。
岩舟駅の北西、直線距離で5Kmほど。
東北自動車道に近い道路の突き当たりの丘の上に鎮座。
車道に新しい鳥居があるが、
境内入口には古びた木製の鳥居。
鳥居を入るとすぐに簡易郵便局のらしき建物がある。
木々の生茂った参道の先は階段。
その上に神門があり、境内の様子は下からではわからない。
このような参道を、一歩一歩、歩いていくと、ちょっとワクワクする。
社伝によると、第36代孝徳天皇の御宇、
大化2年(646)9月29日、熊野大神・日枝大神を勧請。
第51代平城天皇の御宇、
大同2年(807)、皆川村の小野口、八幡沢の八幡宮を合祀。
ということで、元々は熊野・山王を主祭神としていたようだ。
また、藤原秀郷が唐沢山に居城を構えたとき、
当地は、その鬼門にあたるため、城中鎮護の社として再建。
当社には、関東一といわれた大檜があったが、大正末年に枯れてしまった。
当時は高さ80m、直径5m、樹齢2000年以上。
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創祀は孝徳天皇の御宇大化二年(六四六年)と伝えられ、熊野大神、大山咋命二柱を祀り、
佐野庄小野寺十郷(小野寺、上岡、下岡、三谷、新里、古江、下津原、駒場、鷲巣、畳岡)の総鎮守として崇敬され、
のち平城天皇の御宇大同二年(八○七年)に皆川村小野口に鎮齋せる八幡宮を当社に合祀、主祭神と仰ぐ。 醍醐天皇の御宇延喜年間には勅命により、国内神社を調査せし時にその撰に入り、全国二八六一社の延喜式内社に列せられる。 藤原秀郷公、唐沢山に築城の際当神社が鬼門に当ることから守護神として、厚く崇敬し、天慶二年(九三九年)平将門叛せし時、藤原秀郷公これを亡ぼし村桧神社の御神徳の賜ものであると奉幣且つ弓矢を奉納、又永代七○貫文を奉り特に尊信した。(下野国誌。) 現在の社殿(本殿)は室町後期の建物で三間社春日造屋根は桧皮葺にして国の重要文化財の指定を受けて居り、造営に付いては小野寺領主、唐沢城主、足利義持等があたったと伝えられている。など崇敬極めて厚く、下野国式内三之宮として今もなお崇敬せられている。 −『平成祭データ』− |