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須賀神社
すがじんじゃ
群馬県沼田市中町1141  Zenrin Data Com Maps display !!


五瓜に唐花

旧郷社

御祭神
素盞嗚尊
配祀
穂高見神 大己貴命 大日孁貴尊
合祀
菊理姫命 稲田姫命 少彦名命

群馬県高崎市にある。
上越線・沼田駅の東1.5Kmほどの中町に鎮座。
120号線の中町交差点から南へ入った場所に
公園のような雰囲気の境内があり、その北隅に社殿。
社殿の前に鳥居が立っているだけの簡素な神社。

拝殿は入母屋造平入で、扁額には「須賀大神」と書かれている。
参拝は、11月初旬の昼頃。
拝殿には足場が組まれていて工事中だった。
境内にいらした方にお聞きすると、雨漏りのため瓦葺を銅板葺に変更中とのこと。
今頃は、きらびやかな銅板葺の拝殿になっているのだろう。

拝殿後方の本殿は流造。こちらはすでに銅板葺で緑青色の屋根だった。
本殿の後方には、県指定天然記念物の大ケヤキがあり、
樹齢400年以上と推定されているらしい。
当社が現在地に遷座して400年ほどなので、
鎮座の頃に植えられたのだろうか。

社伝によると、文和年間(1353〜1355)、
沼田城主沼田小次郎が城下の鎮守として
鍛冶町に住吉社と天王宮を祀ったのが当社の起源。

関ヶ原の戦い後、真田昌幸の長男・真田伊賀守信幸が沼田を治め、
慶長十七年(1612)台地の上に本格的なまちづくりを始め、
鍛冶町・本町・材木町等の町割りを行い、
当社を沼田城内より中町に遷座させたという。

明治以前は、牛頭天王宮と呼ばれ、
中町・鍛冶町・下之町・坊新田町・上之町・馬喰町の産土神として親しまれ、
夏には祇園祭が盛大に行われるらしい。

境内手水舎の由緒書には「五瓜に唐花」、通称木瓜(もっこう)紋が描かれていた。
元牛頭天王宮であり祇園宮なので、京都八坂と同じ紋だ。

社殿の左手に稲荷社が祀られ、境内の右手奥には、
境内社の石祠や石碑が祀られている。
確認したものは、古峯神社、雷神、金刀比羅神社、猿田毘古大神など。


境内

鳥居

拝殿

境内

社殿

本殿

拝殿扁額

大ケヤキ

稲荷社

境内社の石祠や石碑

須賀神社
 この神社は、明治元年に須賀神社と改称した。
 それ以前は、牛頭天王宮と呼ばれ、中町・鍛冶町・ 下之町・坊新田町・上之町・馬喰町の産土神として天 王様と親しまれていた。
 社伝によると創建は文和年間(一三五三〜五五年) に沼田城主沼田小次郎が城下の鎮守として鍛冶町に住 吉社と素戔鳴命を合祀したのが始めであると伝わる。
 この後、室町時代を経て戦国時代となり、交通の要 所である沼田は、戦国武将達により国盗りが繰り返さ れ天正十八年(一五九〇年)真田昌幸が豊臣秀吉より 沼田の領地を安堵された。関ヶ原の戦い後、徳川幕府 により昌幸長男の真田伊賀守信幸が沼田を治め、慶長 十七年(一六一二年)台地の上に本格的なまちづくり を始め、鍛冶町・本町・材木町等の町割りを行い、天 王様を現在の地中町に鎮座させた。
 牛頭天王は、商人の市神であり、本町という商人の 町の真ん中で利根沼田の繁栄を願い続けている。
御祭神
 素戔鳴命 穂高見命
式典行事
 元旦祭
 花鎮祭
 祇園事始祭 七月一日
 祇園祭 八月三・四・五日
 茅の輪祭 夏越大祓 九月一日
 御神迎
 除夜祭 年越大祓
鎮座四〇〇年記念特別祭典
 平成二十四年九月十六日

−境内由緒書−



【 須賀神社 (沼田市) 】

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