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鳥越神社
とりごえじんじゃ
[東京旅行] 東京都台東区鳥越2−4−1  Zenrin Data Com Maps display !!
暮れにけり、やどりいずくと、いそぐ日に、なれも寝に行く、鳥越の里

七曜

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旧郷社

御祭神
日本武尊
配祀 天兒屋根命 合祀 徳川家康

東京都台東区にある。
地下鉄の蔵前駅から少し南下して蔵前通りに入り、
西へ300mほどの鳥越2丁目に鎮座。

境内入口の鳥居は、蔵前通りに面して南向き。
鳥居をくぐると、稲荷と恵比須・大黒と天神を祀った
福寿神社があり、左に向かうと正面に当社社殿がある。

よって、社殿は東向き。
社殿に向かって、左手に手水舎があり、右手に社務所や授与所。

本殿は入母屋造のシンプルだが美しい形。
屋根は緑青だろうか緑っぽい色だ。

参拝は平日の朝。
久しぶりに、通勤サラリーマンの流れに乗って地下鉄をおりた。
参拝中にも、何人かの通勤途中らしきサラリーマンが
境内を通過したり、参拝したり。
翌日に何が起きるか、想像すらできない、のんびりとした朝だった。

通称は明神さま、あるいは鳥越さま。
社伝によると、白雉二年(651)五月の創祀。

景行天皇の皇子・日本武尊が東夷征伐の時、
当地にしばらく留まり、当地の悪者を退治された。
土地の人々はその徳を慕って、白鳥明神として祀ったのが始まり。

当初は、周囲は海村で、樹木の茂った
小高い山の上に鎮座したいたらしく、
東南の方は海(今の東京湾)に面した街道筋の村であったという。

永承年間、八幡太郎義家が奥州征討の時、
付近の海を渡ろうとしたところ、白い鳥の導きを得、
白鳥明神の御加護であると、社名を鳥越明神と称したという。

相殿の天児屋根命は、奈良時代、仁明天皇の御代、
藤原氏が国司としてこの武蔵の国へ下られた時、
祖神を祀ったものと伝えられている。

また、徳川家康公は、三代将軍徳川家光の発願によって、
寛永十一年に江戸城の鬼門除けとして、
昔の南元町(蔵前四丁目)に松平神社として祀られ、
関東大震災後、大正十四年に合祀された。

神社の由緒には記されていないが、
一説に、京都で晒された平将門の首が、
東国に飛んで戻った時、当地を飛び越え、
鳥越となったという説があるらしい。

社殿前の狛犬の台座や天水桶、賽銭箱など、
いたるとことに七曜紋が付けられている。
当社の社家・鏑木氏は千葉一族で、七曜、九曜を家紋としているらしい。
また平将門の相馬氏ともつながる家系であるとか。

社殿の左手には祖霊社と志志岐神社。
志志岐神社は、宗対馬守が台東1−2にあった邸内に
対馬国下県郡久田の社を勧請し祀っていたもの。
平成十三年に当社境内に遷されたらしく、
産婦は、この社の石をいただいて安産を祈り、
お礼に、石と箒を納める風習があったとか。


蔵前通りに南面した社頭

鳥居

鳥居奥の福寿神社

境内は東向き

拝殿

拝殿扁額

本殿左から

本殿右(境内外)から

祖霊社

志志岐神社

鳥越神社略誌

御鎮座地 東京都台東区鳥越二丁目四番一号
御祭神 日本武尊
相殿 天児屋根命・東照宮公
御創立 孝徳天皇白雉二年(615年)陰暦五月(今より千四百年近く昔)
御由緒
鳥越神社は景行天皇(人皇十二代)の皇子。日本武尊が東夷を御征伐の御時に、この所へ暫く御駐在遊ばされました。土地の人々はそのご徳を慕い尊び奉り、白鳥神社(明神さま)をその地へお祀り申し上げました。
相殿の天児屋根命は天照皇大神に仕え、御功績勝れた御方で、奈良時代藤原氏の人が国司としてこの武蔵の国へ下られた時、御祖先たる故を以てお祀り申されたのです。
また、東照宮(徳川家康公)は、昔の南元町(蔵前四丁目)に三代将軍徳川家光の発願によって寛永十一年に江戸城の鬼門除けとして祀られ、大正十四年合祀され相殿にお祀り申し上げました。
北國紀行に「墨田川の鳥越と云へる海村に・・・」と書かれています様に五百年ほどの昔は海村で樹木の茂った小高い山の上に御鎮座になり、東南の方は海(今の東京湾)に面した街道筋の村であったようです。
回國雑記に「暮れにけり、やどりいずくと、いそぐ日に、なれも寝に行く、鳥越の里」と詠まれ、鳥がねぐらを求めて鎮守の森に群がり閑静な懐かしい気分にさえなります。
永承の頃、八幡太郎義家公奥州征伐の折、白い鳥に浅瀬を教えられ軍勢をやすやすと渡すことができました。義家公これ白鳥大明神の御加護と称え鳥越大明神の御社号を奉られてより鳥越の地名が起こりました。尚、昔は社の境内は頗る広く小島町・下谷竹町の境にあった三味線堀は境内の一部で姫が池といい御手洗の池であった。(不忍池−忍川−隅田川の間の堀で三味線に似ていた)と伝えられています。
徳川幕府が江戸に開かれるにあたり堀は埋め立てられ、旗元・大名屋敷地として没収され幕府の市街地整備・米蔵・矢の蔵の土工の為、鳥越の山は取り崩され埋め立てに使用されました。森田町に榊神社(第六天)・三味線堀に熱田神社が末社としてお祀りされておりましたが、榊神社は堀田堀へ熱田神社は三谷へ移され吉野橋付近を新鳥越町と称しましたので鳥越を元鳥越と称しました。この時本社も他に遷されそうになりましたが、第二代神主鏑木胤正が幕府にさまざまに請願し元地に残り、鳥越三所明神と称えられるに至りました。

−『平成祭データ』−


加門七海の著書『将門は神になれたか』(文庫版は『平将門魔方陣』)には、
当社などの江戸における平将門ゆかりの神社が、
一種の魔方陣として配置されているのでは、と記されており興味深い。
雑記帳『平将門魔方陣 「将門は神になれたか」』参照。

鳥越神社 兜神社 将門首塚 神田明神 烏森神社 筑土八幡神社 築土神社 水稲荷神社 鬼王神社 鎧神社

最終更新日:2013/10/09
【 鳥越神社 (台東区) 】

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