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麻賀多神社
まかたじんじゃ
千葉県成田市船形834  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 下總國印播郡 麻賀多神社
旧村社

御祭神
稚日孁命

千葉県成田市にある。
印旛沼の東1Kmほどの船形に鎮座。

幼稚園の隣に境内がある。
正確には、幼稚園の西に神社があり、その西に古墳。
さらに西に境内がある。

方形の古墳は、公津原古墳群(39号墳 分墳)と呼ばれ、
印旛国造・伊都許利命の墳墓と伝えられている。
公津は、神津(神の港)の転訛であろう。
船形の地名からも類推できるように、
かつて、このあたりまで湖畔であったのではないだろうか。

その古墳の前の案内板に、気になる記述があった。
「伊都許利神社社務所」と記されているのだ。
つまり、この古墳の直接の管理者は、麻賀多神社ではなく、伊都許利神社。
では、伊都許利神社とは。

問題は、古墳の東にある神社。
ある地図には、幼稚園の隣にある、この神社が伊都許利神社となっており、
別の地図では、金毘羅神社となっている。

その神社境内には「金毘羅神社」の社号標が立っているが、
神社庁発行の『平成祭データ』には、
船形の地に、金毘羅神社は無く、伊都許利神社が記されている。

伊都許利命の古墳に隣接する神社なので、
伊都許利神社であってもおかしくはないのだが、
はたして、幼稚園の隣にある神社は、伊都許利神社なのか金毘羅神社なのか。
あるいは、同じ神社を指しているのか。

それはともかく、

麻賀多神社入口の鳥居は、道路に面して南向きに建つ。
境内に入り、参道を歩くと、右手に古墳。
古墳の南側には岩屋らしき穴があり、西側には石棺。
古墳上には、「伊都許利命墳墓」の石碑が立っている。


伊都許利命墳墓

境内入口

墳墓上の石柱

墳墓東の金毘羅神社

古墳を通過して奥へ進むと、鬱蒼とした木々に暗い境内。
だが、社殿の周囲には木々はなく、陽光を受けて光っているような。
拝殿の後方、垣の中には流造の本殿が。

創祀年代は不詳。

社伝によると、日本武尊東征の折、
大木の虚に鏡をかけ、根本に七つの玉を埋めて伊勢神宮に祈願。
応神天皇の御代、
伊都許利命が、印旛国造として当地に来たおりに、
夢の告げにより、稚日霊命の霊示をうけ、大木の根本から玉を掘り出して
霊代として、麻賀多神を奉斎したのが創祀。

後、推古天皇十六年(608)に、
伊都許利命八世の孫・広鋤手黒彦が、
稷山(台方)に社殿を造営した。

よって、当社(船形)は、麻賀多神社の奥宮(あるいは元社)にあたり、
台方の麻賀多神社を大宮という。

台方の麻賀多神社では、麻の葉紋が社紋と、明確に示されているが、
当社の賽銭箱や拝殿の幕には、巴紋が付けられていた。

境内左手奥に、御神木の大杉(周囲約6m、高さ40m)。

社殿の左手、垣に沿って、幾つかの境内社が並んでいる。
確認した社は、香取神社・祓戸社・八代稲荷神社・加志波比売神社。

垣の外側は、林のようになっているが、
あちこちの木々の根本には、
菅原神社・熊野神社・世直神社などの石祠が点在している。


境内

境内

社殿

本殿

拝殿

大杉の御神木

ズラッと並ぶ境内社

境内横の林にも石祠

伊都許利命由緒
 伊都許利命は 神武天皇の皇子神 八井耳命の八代目の御孫で 応神天皇 の命を受けて 印旛國造とし てこの地方を平定され 産業の指 導などに多くのご功績を残されてい ます
 その昔 日本武尊 ご東征の折  大木の虚に鏡をかけ 根本に七つ の玉を埋めて 伊勢神宮に祈願さ れました 命は「この鏡をあがめ 祀れば永く豊作が続く」との教を きゝ その鏡をご神体として この 地に稚日霊命を(手里神社)祀り  その後 ご霊示によって 七つの 玉を掘り出して稚産霊命(台方神 社)を祀り 共に麻賀多眞大神と して 里人の崇敬を指導されてか ら 益々豊年と楽土が続きました
 なお 佐倉藩磯部昌言氏の記す 佐倉風土記を始め塚上の古建碑等 によって治績が広く知られ 又明 治四十四年大正三年の二回に亘っ て古墳が保存され 近年成田市の 史跡に選ばれました
 御墳墓は土砂が少しけづられて いる様子ですが 周囲一二〇米 高 さ七米の 方形墳で 南の麓に は 広さ約五平方米の岩屋と 西 麓には 直刀 金環 鎧片等を納 めた石棺と その出土品が現存し ています

伊都許利神社々務所

−墳墓前案内板より−



式内社・麻賀多神社
 麻賀多神社は、平安時代に編修された『延喜式』の「神名帳」に記載されて いる由緒ある神社で、市内台方区稷山と、ここ船形区手黒の二社あります。台 方神社は稚産霊神を、船形社は奥の宮で稚日霊神をお祭りしています。

伝伊都許利命墳墓
 本古墳は『先代旧事本紀』の中の「国造本紀」に見える”印波国造伊都許利命”の墳墓と伝えられています。墳丘の大きさは、東西辺約35m、南北辺約36 m、高さ約5mの方形墳です。
 遺体埋納施設は、後期古墳の主体部に多く見られる凝灰質 系軟質砂岩の切石積みによる横穴式石室(南側裾部)と、絹 雲母片岩の板石を組み合わせた箱式石棺の二施設があります。

−社前案内板より−



参拝のしおり
麻賀多神社は、今より約千八百五十余年前、人皇第十二代景行天皇四十二年六月晦日に、皇子日本建尊が、国内鎮撫、国土開発、五穀豊穣、の御指導の為、水路利根川、印旛沼を経て当地に御上陸なされ、近くの住民を集めて大きな杉の幹に御鏡を懸け「インバノクニタマオキツカガミと崇め祀れば五穀自ら豊穣する」とのたまわれ、この鏡を祭祀することを教えられた尊はこのとき、はるかに伊勢の大神を遥拝せられ前記の緒願を祈念遊ばされ、当地方開発の基礎を築かれこの偉大な御功績を残されたのが当社の創始である。
その後約三百年、人皇第十五代応神天皇二十年現在の成田市船形手黒の地に印旛国造伊都許利命神武天皇の皇子神八井耳命八世の孫)によって初めて社殿が創立せられ、その御鏡を御霊代としてワカヒルメノミコトを鎮祭されて以来、霊光が四方に輝き益々五穀豊穣し、住民の暮らしが更に豊かになり、泰平の世が続いた。又伊都許利命は、ワカヒルメノミコトの御神命によっておお杉の下より七つの玉を掘出しそれらを御霊代として、オキツミヤにワカムスビノミコトを併祀せられてより、一層当地方の五穀は豊かに稔り、永く明るい楽土が築かれ、子々孫々その思恵に浴し今日に至った。
ワカヒルメノミコト、稚産霊命をマガタマの大神と崇められ、七つの玉(勾玉)から麻賀多と幾度か改称せられたるも、御神威は古くより輝き渡っている。なお応神天皇二十七年に至って伊都許利命の御子浦長多津命が病で臥せられた際、父命は、真賀多真大神の御神命によって、マガタマの二柱の大神と共に病気平癒の祈祷をなされた結果御子の病は奇跡的に神癒される等、古くより家内安全、病気平癒の守護神としての御神徳も顕彰され伝承されている。更に人皇第二十三代推古天皇十六年に、伊都許利命第八世の孫広鋤手黒彦命に再び御神命があり、現在の成田市台方に「真賀多真の大神」としてオキツミヤよりワカヒルメノミコトを遷宮され、この御社を大宮殿と尊称する。その後、人皇第六十代醍醐天皇延喜十八年、延喜式神名帳に登載の際、御社名が三種の神器と同称なるを「真賀多大神」と改称され、更に麻の名産地に因み真を麻に替え現在の麻賀多神社と改称された。
一方オキツミヤは、天水の神とし、大宮殿は五穀の神として、両社産業発展への御神威を発揚され、五穀の豊穣に関係が深いので、この地方住民の崇敬が特に篤く、千葉家を始め佐倉藩主等によって数回にわたって御社殿が造営せられ、一千数百年の永きにわたって社名が輝きわたっている。現在当印旛沼の当方台地に当社を祖社とする麻賀多神社が十八社祀られて居ることからも当社に対する崇敬が如何に篤かったかが推察される。
現在台方大宮殿には、筒粥祭、御田植祭、豊年神楽祭の特殊神事を始め、麻賀多神社にまつわる古事が継承されるほか、御縁起中の緒地名等(七台、七坂、七井戸、七干場、七兎田、七人百姓)が当社近くに残っている又当社の御本殿は特別建造物とし、御神木の大杉(周囲八米樹齢約一千年)は、千葉県指定自然記念樹として住古を物語っている。尚オキツミヤは一千八百余年の創祀時より、天然水を恵む御神徳を顕現せられたが、現在当社近く千葉県水道局成田給水場が建造されて、成田空港、成田ニュータウン等に給水して、我が国を訪れる全世界の人々にまで使用される事はまことに奇しき縁である。かくて当麻賀多神社の御神威は創祀以来数々の由緒と御縁起が輝きわたるとともに、新時代に添うてあまねく光被される。

−『平成祭データ』−



【 麻賀多神社 (成田市船形) 】

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