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荏原神社
えばらじんじゃ
東京都品川区北品川2−30−28  Zenrin Data Com Maps display !!


十二菊


左三巴

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旧郷社

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御祭神
高龗神 天照皇大神 須佐之男尊 豊受姫之命 日本武尊 手力雄之尊

東京都品川区にある。
京浜急行の新馬場(しんばんば)駅の東200mほどの北品川に鎮座。
河口部では品川とも呼ばれる目黒川に沿って河口部へ進むと境内入口。
社前には赤い鎮守橋がある。

境内入口は東向き。目黒川が少し北東へ流れているので
川に向かって斜めに参道がある。
参道入口に木造の鳥居が立ち、「郷社荏原神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を進むと恵比須像があり、
手水舎を過ぎると、もう一つの石造の鳥居。
この鳥居の奥に堂々とした社殿がある。

拝殿は入母屋造で、後方の本殿は流造。
資料によっては神明造と書かれているようだが。

参拝は東日本大震災の二日前。
天気の良い三月の晴天の日。

社伝によると、
元明天皇和銅二年(709)九月九日藤原伊勢人により勧請され、
貴布禰大 明神と号し、品川総鎮守だったという古社。
元は三ッ木に鎮座しており、後に現在地に遷座された。
『明治神社誌料』には、この旧蹟を品川神社とする説が載っているが
旧地の三ッ木(大崎の近く)には今も貴船神社が祀られている。

同じく北品川鎮座の品川神社が北の天王社と呼ばれ
当社の通称は南の天王社。

合祀されている、天照皇大神豊受姫之命
後一条天皇長元二年(1029)の勧請。
手力雄之尊の勧請年月は不詳。
日本武尊は、『明治神社誌料』では境内社の白鳥神社祭神なので
明治以降に本殿相殿に祀られたのだろう。

須佐之男尊の勧請は宝治元年(1247)。
神像が天王洲の海に浮いていたのを漁夫が寄木神社に奉納し
その後、当社に奉安されたといい、
これにより天王洲という地名となったらしい。

後冷泉天皇の康平五年(1062)源頼義・義家が
安部貞任・宗任を征伐する時に、当社に参詣し
品川の海中に身を浄め戦勝を祈願した。

天正十八年(1591)徳川家康が関東下向の折、
当社に寄られ神官鈴木和泉守に由緒を尋ねられ、
左文字一振を奉納。翌年神領五石を寄進した。

明治元年 明治天皇御遷都の際、当社が内侍所奉安所となり、
翌年三月明治天皇御再幸の節も内待所奉安所・御行宮にあてられた。

明治四年南品川神社と改称。
明治五年郷社に列し、同八年荏原神社と改称した。

明治になって、天皇の勅使によって祭祀・奉幣が行われる
准勅祭社に指定された品川神社は当社のことであるという。

当社が、この准勅祭社であるという説は、
准勅祭社の社名の中に品川貴船と記されている文献があり、
品川鎮座の貴船社、つまり当社のことであるという。

ただし、『東京都神社史料第五輯』には、
明治期の「御新政後記録」や「神祇官判事上申書」、
「府治類纂」などが登載されているが、
そこには准勅祭社として品川神社(神主小泉帯刀)の名が
随所に記されている。

境内の左手、社殿と目黒川の間に境内社が三社並んでいる。
中央に稲荷神社、左が八幡宮、右が熊野神社。

拝殿の提灯や賽銭箱に三つ巴紋が付けられていた。
さらに御朱印に菊紋も付けられており、
当社の神紋は、左三巴紋と菊紋のようだ。

この菊紋は、明治天皇御遷都の際、
当社が内侍所奉安所になったことにより、下賜されたものらしい。


目黒川にかかる鎮守橋

社号標

社頭、左手に目黒川

参道と恵比須像

神楽殿

境内

拝殿

本殿

境内社鳥居

境内社三社

祭神 高龗神 (合祀)豊受姫命 天照皇大神 須佐之男尊 手力雄尊 日本武尊 事代主命
祭儀 例大祭六月七日に近い金・土・日の三日間
社殿 本殿(木造神明造)幣殿・拝殿(木造入母屋権現造)
境内神社 熊野神社(伊邪那岐命伊邪那美命) 稲荷神社(宇賀之売命) 八幡宮(応神天皇
境内地 三六一三・五㎡(一〇九五坪)
境内建物 神楽殿(木造)神輿庫(土蔵造)手水舎 社務所(木造平屋建延七〇坪)
社宝類 刀二振(左文字作・井上直改作)
由緒 創建は元明天皇の和銅二年(七〇九) 九月九日藤原伊勢人の勧請により、武蔵国荏原 郡品川郷(元枝郷三ッ木)に鎮座した。貴布禰大 明神と号し、品川総鎮守だったが、後、現在地 に遷った。御祭神高龗神は龍神にして雨水をつ かさどり、祈雨止雨福徳円満の御神徳と仰がれ ている。後冷泉天皇の康平五年(一〇六二)源頼 義・義家が安部貞任・宗任を征伐する時に、当 神社に参詣し品川の海中に身を浄め祈願して戦 勝凱旋の折奉幣された。天正十八年(一五九一) 徳川家康公関東下向の折、当社に寄られ神官鈴 木和泉守に由緒を尋ねられ、左文字一振を奉納 され、翌年神領五石を寄進された。慶長十九年 秀忠公大阪出陣の折も勝利を祈願され、左文字 一腰、鞍一口を奉納した。明治元年十月十二日 明治天皇御遷都の際、当神社が内侍所奉安所と なり、翌二年三月二十七日明治天皇御再幸の節 も内待所奉安所・御行宮にあてられた。明治五 年皇太后宮東京に御人輦の際も明治天皇の御休 殿にあてられた。当神社は創建より貴布禰大明 神と称したが、明治四年南品川神社と改称し、 同八年荏原神社と改める。

−『東京都神社名鑑』より抜粋−



【 荏原神社 (品川区) 】

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