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赤坂氷川神社
あかさかひかわじんじゃ
東京都港区赤坂6−10−12  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

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旧府社

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御祭神
素盞嗚命 奇稻田姫命 大己貴命

東京都港区赤坂にある。
アメリカ大使館宿舎の北に鎮座。

境内入口は南東と北西にある。
北西の入口を入ると、右手に四合稲荷と西行稲荷が鎮座し、
階段を上ると境内社殿がある。
南東の入口は、そのまま境内社殿へ通じている。

南東から入り、参道を真直ぐに歩くと楼門。
神門の奥に拝殿・本殿などの朱塗りの社殿。
参拝当日は、実に天気の良い日で、
陽射しが強くて、コントラストの激しい写真しか撮れなかったのが残念。

創祀は天歴五年(951)。
古呂故ヶ岡と呼ばれる場所(現在の赤坂四丁目一ツ木台地)に祀られたお宮。

江戸時代に入り、享保十五年(1730)
水野忠之によって現在地に遷座され、将軍直々の御参拝があったという。

明治になると、准勅祭社(東京十社)に指定され、
勅使による参向奉幣が行われた。


表参道の鳥居

北東側参道 階段上の鳥居

参道鳥居

神門

境内

本殿

拝殿

南東の入口から続く参道の左手には、九神社がある。
以下の9つの神社が合祀された境内社だ。
金刀比羅社・諏訪社・厳島社・春日社・天祖社・
八幡社・鹿嶋社・秋葉社・塞神社。
その九神社の横に、史蹟の案内板が立っている。
当社は浅野匠頭夫人の幽居していた、浅野土佐守邸址らしい。

境内には、幾つかの稲荷神社が鎮座している。
境内左手に、桶新稲荷と山口稲荷。
北東入口を入ると四合稲荷と西行稲荷。

四合稲荷は、明治中期に以下の四社の稲荷を合祀した稲荷だが、
「しあわせいなり」と読み、勝海舟によって名付けられたらしい。
五合に一合たらぬ 幸いなり
故呂古稲荷(一ツ木丘鎮座)、地頭稲荷(氷川神社の地主神)、
本氷川稲荷(本氷川神社境内鎮座)、玉川稲荷(赤坂見附玉川邸鎮座)。


九神社

山口稲荷神社

桶新稲荷神社

四合稲荷神社

四合稲荷神社社殿

西行稲荷神社鳥居

西行稲荷神社社殿

狐穴?

赤坂 氷川神社略誌 ※『月次祭』毎月一日九時 お気軽にご参加下さい
【御祭神−−お祀りしている神様】
すさのおのみことくしいなだひめのみことおおなむぢのみこと
素盞鳴尊奇稲田姫命大己貴命大国主命
【由緒・沿革】
起源… 創立の起源は、古い書物によると、天歴五年(村上天皇 九五一年) 武州豊島郡人次ヶ原 俗称…古呂故ヶ岡(赤坂四丁目一ツ木台地)に 祀られました。これよりおよそ百年後の治歴二年(御冷泉天皇 一〇 六六年)、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があ り、以来よく祭事が行なわれました。
造営… 江戸時代、幕府の尊信は篤く、八代将軍 徳川吉宗公が享保元年(一七 一六年)将軍職を継ぐに至り、同十四年(一七二九)に老中岡崎城主 水 野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営しました。
鎮座… 享保十五年(一七三〇)四月二十六日に、一ツ木台地から現在地への 遷宮が行われ、二十八日に将軍直々の御参拝がありました。以後十四 代家茂公まで歴代の朱印状(※港区文化財)を下附され、より一層の御 神徳を高め、開運・厄除・良縁の鎮守神として尊崇を深められました。
【文化財】
社殿… 総欅造りの銅葺朱塗にして、丹青荘重の一間社流造のたたずまい。 拝殿には、昭和四年遷座二百年を記念し、花鳥の格天井・鳳の壁画が 加えられ、昭和二十七年十一月都重宝建造物の指定を受けました。
屏風… 社宝紙本着色神馬額絵・獅子額絵の四雙の屏風(狩野豊久筆)は、 昭和二十九年十一月に都重要文化財に指定されました。
東京十社巡り
明治元年十一月八日、准勅祭社に定められ、同十五日、勅使 植松神祇判官 参向奉幣がありました。日枝・神田・富岡・根津・芝大・品川・亀戸・王 子・白山の九社と共に『東京十社』の巡拝コースの一社となっています。
忠臣蔵 遙泉院の実家
現社地は元禄の頃は、忠臣蔵・浅野匠頭の夫人 遙泉院の実家の浅野土佐 守邸跡で、大石内蔵助が討入り前に訪れて別れを告げたといわれている『南 部坂』が近くにあります。
勝海舟ゆかりの四合稲荷
幕末より赤坂在住の、『勝海舟翁』ゆかりの『四合稲荷』が鎮座しています。
《例祭日》九月十五日 ※隔年に神幸祭(各町神輿連合渡御)

−境内案内−


赤坂氷川神社略誌
御祭神 素盞鳴尊(すさのおのみこと)奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)大己貴命(おおなむぢのみこと)
御創立の起因は古く詳ならざれども旧記によれば村上天皇の御宇天歴五年(951年)武州豊島郡人次ケ原俗称古呂故ケ岡(赤坂小学校台地)に創祀す。是より百年余を経て後冷泉天皇の御字治歴二年関東に大旱魃ありて降雨を祈りしに徴験ありしを以て漸く祭事を治むと旧記に伝ふ。
降って徳川氏に至り幕府の尊信篤く八代吉宗公紀州家(旧赤坂離宮)に在時、享保元年(1716年)将軍職を継ぐに至り、同十四年時の老中岡崎城主水野和泉守忠之に命じ豊島郡赤坂今井台即ち現社殿を造営せしめ工事成って翌十五年四月二十六日遷宮行はれ、二十八日将軍直拝あり此の時社領に附し条目を下渡さる。
爾後代々将軍朱印を下附され郷民の間にも一層の御神徳をたかめ、氏子、産土神、鎮守神として世の人々の尊崇を深められた。
明治元年十一月の准勅祭社同十五日勅使植松神祇判官参向奉幣あり此時日枝、神田、富岡、根津、芝大、品川、亀戸、王子、白山の十社を准勅祭社と定めた。近年東京十社の巡拝コ−スを復活させシオリを出している。
御祭儀御祭日は承応年間六月十五日に改められたる先規に随い隣社山王日枝神社と同月同日なるをもって隔年の大祭を報行せられ其祭期に臨んでは東葵坂と西赤坂見附に青竹の柵を結い国司大名たりとも通行を差し止め神輿を一ツ木御旅所に舁き鎮め別当職は十万石の格式を以て儀衛を張り又山車の附物赤坂奴と唱ふ大名行列の行装を擬する印練物は各町競って出すなかにも特に一頭角を顕し、所謂江戸三大祭、山王、根津とともに将軍上覧御用祭と称え明治維新まで行なわれしとも昔話に遺れり。
御社殿享保十四年正夷大将軍内大臣正二位源朝臣徳川吉宗公の奉建造営以来数度の造修を行ない昭和四年遷座二百年を記念し、格天井の花鳥壁間の鳳の絵図を付け加え結構善美を尽くし約四千坪の神域に椎、樫、欅等の緑の大樹に相映ある総欅造り銅葺朱漆塗にして丹青荘重の一間社流の輪奐の美は東都冠たり。
昭和二十七年十一月都重要美術品の指定を受けまた社宝紙本着色神馬額絵の獅子額絵の四雙の屏風は狩野豊久筆同二十九年十一月都重要美術品に指定さる。
例祭 九月十五日氏子港区赤坂一丁目〜二丁目、赤坂一丁目〜九丁目、六本木一丁目〜四丁目、虎ノ門一丁目。

−『平成祭データ』−



【 赤坂氷川神社 】

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