HOME [HOME]  >  [神社記憶]  >  [東海地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


御笏神社
おしゃくじんじゃ
[東京旅行] 東京都三宅村大字神着  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 伊豆國賀茂郡 佐伎多麻比咩命神社
旧村社

御祭神
佐伎多麻比咩命

合祀 式内社
伊豆國賀茂郡 波夜志命神社 峯指(風拝)神社
伊豆國賀茂郡 片菅命神社 勝祖神社
伊豆國賀茂郡 加彌命神社 二宮神社
伊豆國賀茂郡 南子神社 三ノ朔幣神社

東京から180Km南にある三宅島にある。
当社は三宅島の北部にあり、
三宅島を循環する212号線に面して北向きの境内がある。
212号線の北側には、島役所跡。
伊豆諸島最古の木造建築らしく、雰囲気のある建物。
その前庭には、捻じれたビャクシンの古木があり、
当社参道が、南へ続いている。

島役所は、もともと東郷に鎮座していた当社の近くにあったが、
当社の遷座とともに現在地に移転されたもの。
前庭のビャクシンは、移転当時に植えられたものらしい。


島役所跡とビャクシンの木

参道の鳥居

道を隔てて境内入口

島役所跡
 この建物はもともと神着村東郷の地域にあっ たが、永正十三年(一五一六年)に御笏神社が 神託によって現在地に遷宮された関係から、十 八年後の天文三年(一五三四年)にこの地に移 転したものである。
 建物の面積はおよそ四十六坪、現存している 木造建築では伊豆諸島の中で最古最大の規模を 誇り材質はすべて椎の木が使われている。特に 注目されているのは「カンナ」が全く使われて いない建築様式で、主として「手斧」で仕上げ られた貴重な建築物として東京都の文化財に指 定されている。
 また、前庭にある柏槙の巨木は「イブキ」の 一種で、御笏神社が東郷の里から移った直後に 植えられたと伝えられ、樹齢はおよそ四七〇年 を数える。
 往古は柏槙の神としてあがめられていた歴史 をもち、異色の巨樹として昭和一一年に東京府 の天然記念物に指定されている。

−案内板より−

島役所跡から212号線を渡ると当社境内入口がある。
鳥居をくぐると、左手に祖霊社があり、参道を進むと境内。

参拝した時は、残念ながら拝殿が修築中で
社殿は足場に覆われていた。

拝殿の右手に、古社の雰囲気に似合わない三角柱の石碑が立っている。
本殿などの寄進者の名を刻んだものだが、ちょっと違和感。

拝殿の後方に、狭い階段が上へ延びており
階段上に、綺麗な本殿が鎮座している。

創祀年代は不詳。

式内社・佐伎多麻比咩命神社に比定される古社。
祭神の佐伎多麻比咩命は、三島大神の3番目の后。
『三宅記』によると、
「なこ・かね・やす・てい・したい・くらい・かたすけ・ひんすけ」
の八人の王子が三宅島に居るらしい。

佐伎多麻比咩命神社の「佐伎」に、尊称の「御」が付き、
さらに変化して「御笏」になったとも、
古笏を神体として祀ることから「御笏」と称するようになったとも。

もとは東郷の山(現在地の東6〜700m付近)に鎮座していたが、
永正十三年(1516)、神託により神着の二山(贄山、首山、頭山)へ遷座。
その神託から三五八年後の明治七年七月三日、
雄山の噴火によって、旧社地東郷は全滅したという。
また、遷座は天文三年(1534)であるとする説もある。

一説には、当社の古社地は当社の東、現在の観音堂のある場所だとする説もある。


鳥居

参道脇に祖霊社

修築中の拝殿

拝殿

拝殿

寄進者名を刻んだ石碑

拝殿後方の階段

階段上の本殿

旧社地という説もある観音堂

御笏神社
 この神社には、事代主命の后、佐伎多麻比咩 命が祀られている式内社である。
 第六〇代醍醐天皇延喜年間に、国が奉祀する に値する神社名を公に列記した延喜式神名帳に 記録されている極めて格式の高い神社であり、 これを延喜式内社という。
 伊豆国府三宅島神名帳によれば…
 神着御笏神社
「祭神事代主命御神璽古笏ニ小鏡ヲ嵌込有之候当 社ノ儀、東郷山ノ地ニ鎮座処永正十三年丙午依 神託神着村ノ地ニ奉鎮座候」と記されている。
 またこの境内には天王宮をはじめ十四社が祀 られている。
 疫病退散を祈願して毎年七月に行われる天王 祭は、文政三年(一八二〇年)の頃から伝わる 島内屈指の大祭で、勇壮な木遣太鼓と共にくり 出す神輿の渡御は、夏を告げる島の風物詩とし て広く親しまれている。

−参道案内板より−

参道の案内には、十四社の境内社があるように書かれていたが
境内の左手には、五つの境内社が並んでいる。
左手から、熊野神社、太子堂、金刀比羅神社、稲荷社と
社名を確認できなかった石祠が一つ。
境内の天王宮が有名らしいので、この石祠が天王神社だろうか。
あるいは、一番左手の熊野神社が天王社だろうか。

明治十八年の「神社明細帳」には以下の十八社が記されており、
『式内社調査報告』によると稲荷神社、金刀比羅神社、天王神社以外は、
すべて本殿に合祀されたらしい。

式内社 境内社
一ノ朔幣神社事代主神迦具突智神二ノ朔幣神社伊古奈比咩神
三ノ朔幣神社南子命飯王子神社安寧子神
酒王子神社満寧子神若宮神社物忌奈神
船着神社祭神不詳風神社級長戸辺神
柏精神社祭神不詳10諏訪神社南子命、南方刀美命住吉神
11勝租神社片菅命12八幡神社応神天皇
13稲荷神社豊受比咩命14古刀比羅神社大物主神
15天王神社須佐之男神16峯指神社波夜志命
17二宮神社加彌命18湯船神社祭神不詳、一説に波夜志命


境内左手の境内社、熊野社・太子堂・金刀比羅社・稲荷社と天王社?

熊野神社

金刀比羅神社

稲荷神社

天王神社?

本殿に合祀されている峯指神社は、式内社・波夜志命神社とされている。
祭神の佐伎多麻比咩命の第八王子「ひんすけ」を祀る神社で、
「波夜志」は、「早風」の意味だそうで、
早風神社、峯指神社、風拝神社などとも記されている。

もとは、当社の南東の山、風速山山頂に鎮座していたが
明治七年七月の噴火で埋没し、御笏神社境内に遷座。
その後、御笏神社本殿に合祀された。
風速山の位置は、このあたり →  Zenrin Data Com Maps display !!

本殿に合祀されている勝祖神社は、式内社・片菅命神社とされており、
祭神の佐伎多麻比咩命の第七王子「かたすけ」を祀る神社。
明治までは「勝租大天狗飯縄宮」と称されていたが
明治になって片菅命を祭神とした。

もとは、神着の東方にあり「カツソノ社」と呼ばれたらしいが
明治七年七月の噴火によって所在不明となり、御笏神社境内に遷座。
その後、御笏神社本殿に合祀された。

本殿に合祀されている二宮神社は、式内社・加彌命神社とされている。
祭神の佐伎多麻比咩命の第二王子「かね」を祀るため
二宮神社と呼ばれたようだ。

もとは、三宅島東南部山側にあった「カミノ杜」に鎮座していたが
東郷に遷座して二宮神社となり、噴火によって東郷が全滅したため
御笏神社境内に遷座。さらに、御笏神社本殿に合祀された。
カミノ杜は禁足地(入らず森)で、入ることが厳禁されているらしい。
東郷の二宮神社は、通称「山の神」と呼ばれ、現在は石祠が残っている。
山の神の位置は、このあたり →  Zenrin Data Com Maps display !!


二宮神社の旧社地・山の神。背丈以上の雑草をかき分けて十数mほど奥に

朽ちた祠と、埋まった石祠がある

埋まった石祠の頭

本殿に合祀されている三ノ朔幣神社は、式内社・南子神社とされている。
祭神の佐伎多麻比咩命の第一王子「なこ」を祀る神社である。
一説には三ノ朔幣神社は、
当社の南にある南子山に鎮座している南子宮の遥拝所であったいい、
最近は、三宅島南西にある式内社・富賀神社の遥拝所であるとも言われている。
かっては御笏神社の東北にあったが、現在は本殿に合祀されている。
元社地の三の宮には、いまでも祭祀跡が残されているのだが
そこにあった案内板には、
「熊野三社の一つ物忌奈命を祀った三の朔幣宮」と記されていた。
三の宮の位置は、このあたり →  Zenrin Data Com Maps display !!


三の宮の三の朔幣社

祭祀跡が残っている

溶岩?


最終更新日:2013/10/09
【 御笏神社 (三宅島) 】

ボーダー




関東地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方


稲城市
国立市
三宅支庁 御蔵島村
三宅支庁 三宅村
多摩市
大島支庁 新島村
大島支庁 神津島村
大島支庁 大島町
大島支庁 利島村
八丈支庁 八丈町
府中市
江東区
港区
渋谷区
新宿区
千代田区
台東区
大田区
中央区
品川区
文京区
北区

みどり市
安中市
伊勢崎市
甘楽郡 下仁田町
甘楽郡 甘楽町
桐生市
吾妻郡 高山村
吾妻郡 草津町
吾妻郡 中之条町
吾妻郡 長野原町
吾妻郡 東吾妻町
高崎市
佐波郡 玉村町
渋川市
沼田市
前橋市
藤岡市
富岡市
北群馬郡 吉岡町


かすみがうら市
つくば市
ひたちなか市
稲敷郡 阿見町
稲敷郡 美浦村
笠間市
久慈郡 大子町
結城市
桜川市
鹿嶋市
常総市
常陸太田市
常陸大宮市
神栖市
水戸市
石岡市
東茨城郡 茨城町
東茨城郡 城里町
東茨城郡 大洗町
那珂市
日立市
鉾田市
北茨城市
北相馬郡 利根町