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旧別格官幣社 御祭神 太政大臣藤原師賢公(文貞公) 小御門神社公式サイトを開く |
千葉県成田市(旧下総町)にある。
滑川駅駅の南2Kmほどの名古屋に鎮座。
滑川駅前に当社の大鳥居があるらしいが、
僕は成田方向から車で参拝したので見ていない。
小御門郵便局の近く、道路がカーブしている場所に
境内入口の鳥居が立ち、右手に「別格官幣社 小御門神社」の社号標。
鳥居の前が、10台程度の駐車スペースになっている。
鳥居をくぐり境内に入ると、清らかな森というイメージ。
天気の良い日は、射し込む陽射しが美しい。
参道を歩き、左手に曲がると、
垣に囲まれて、社殿が立っている。
入母屋造の拝殿の後方、中門の中に本殿。
社殿を囲う垣の後方、丁度、本殿の真後ろに
大きな塚がある。
当社祭神の墓所である「公家塚」だ。
祭神・藤原師賢公は、内大臣藤原師信の御子。
花山院と号した後醍醐天皇の側近。
元弘元年(1331)尹大納言に任ぜられ、
天皇の身代わりとして、御衣を賜り叡山に登って
賊軍討伐の錦旗を立てたが、討伐に失敗。
捕らえられて、下総へ配流され、当地で32歳の生涯を終えた。
建武元年、後醍醐天皇は、公の功績を称し
文貞公の諡を賜った。
建武の中興は、武家中心の社会を、
古代の律令国家へ戻し、天皇中心の社会へ復帰させることが目的。
徳川幕府の武家社会から維新によって、明治政府を樹立した
明治天皇にとっても、この建武の中興は意味深い時代であり、
建武中興に尽力した祭神・藤原師賢公を、その功によって
最期の地、下総へ祀ったのは、明治15年。
ちなみに、建武の中興に関係した、南朝側の皇族・武将は
明治になって、各地に官幣社として祀られている。
『建武中興十五社』を参照。
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小御門神社御由緒
御祭神藤原師賢公は建武中興の大業を賛けられた柱石である。その忠誠は下総国名古屋の里に埋もれる事久しく、漸く亨保・弘化の頃、磯部昌言、清宮秀堅等によりその足跡が明らかにされ、明治の御聖代を迎えて、御神威は輝くばかり発揚され、社号を小御門神社と定められ、明治十五年四月二十九日、千葉県令船越衛を勅使として御下賜の剱璽を奉じ、御鎮座祭を行い、同年六月十四日、別格官幣社に列せられた。−『平成祭データ』− |