ふたあらやま
栃木県宇都宮市馬場通り1−1−1

式内社 下野國河内郡 二荒山神社 名神大
下野國一宮
旧國幣中社

御祭神
豐城入彦命
配祀 大物主命 事代主命

栃木県宇都宮市にある。
宇都宮駅からまっすぐ西へ1、2Kmの馬場通り。
道路に面して南面した鳥居が立ち、階段を上ると広い境内。

車で参拝に来たのだが何処に停めてよいか分からず、
周囲の路地で車を停めて地図を見ていたら、
車の横の、お店の扉が開いて、おばさんが朝の掃除に出てきた。
駐車場の場所を聞くと、参拝だったら、ここ(店の前)に止めてて良いよ、
ということで、ありがたい言葉に甘え、店の前に横付け。

創建は、社伝では仁徳天皇41年(353)下毛野国造奈良別王が、
祖である豐城入彦命を荒尾崎に祀ったとある。
また、豐城入彦命自身が東国下向の際に、御諸山の大神を祀ったという説もある。

荒尾崎は、社頭の鳥居のある道路の南向い、現在下之宮のある場所だ。
遷座の謂れは、道路の近くで、通行の人々に無礼があり、
災いや落馬が続出したためだそうだ。

祭神は現在、豐城入彦命だが、いくつかの説が存在する。
『式内社調査報告』によると、
・豐城入彦命
・豐城入彦命、彦狭嶋王(豐城入彦命の孫)
・豐城入彦命、大物主命
・御諸別王(彦狭嶋王の子)
ここまでが、国造下毛野君の祖神
・事代主命
・健御名方命、大己貴命、高志沼河姫命
・大己貴命、事代主命、味鋤高彦根命
・大己貴命、事代主命、健御名方命
・大己貴命、健御名方命
ここまでが、出雲系
・柿本人麻呂霊
・日光三所神
・太郎大明神
・小野猿丸

宇都宮の市名の元となった神社。通称は、明神さま。
宇都宮の字義に関してもいくつかの説がある。
これも『式内社調査報告』によると、
・一の宮の訛
・移しの宮、荒尾崎からの遷座
・稜威の、著しい宮
・現宮、二荒山神の現(ウツツ)の宮
・現宮、現君(御諸別王)の氏神
・臼ヶ峰(当社の鎮座する丘)
・征討宮、小野猿丸が敵を討ったところ
・宇豆高き御屋代説

「二荒山」の字義に関しては、日光の二荒山神社のページを参考。

ということで、祭神も社名も異説が多く、よくわからない。
つまり、これは元々の土地神・地主神を、
中央の勢力が取り込んだということではないかと思うのだが。

社殿では、朝の掃除の最中。

神紋は、本来三つ巴らしいが、菊と合せたものも使っている。
ちょっと変わった形なので、こちらを掲載してみた。

デパートなどが立ち並ぶ道路沿いに鳥居。
普段は交通量も人の流れも多い所なので、
早朝、町が動き出す前に参拝を開始。

階段を上り神門の中が境内になっている。
本殿の左側には、三穗津姫命を祀る女体宮が附属物のように鎮座している。

境内社に関しては、次のページに掲載した。

式内名神大社
下野国一之宮
宇都宮二荒山神社御由緒
御祭神豊城入彦命
相 殿大物主命(大国さま)
事代主命(恵比寿さま)

主祭神、豊城入彦命は、第十代崇神天皇の第一皇子で あらせられ勅命を受けて東国御治定のため、毛野国 (栃木県・群馬県)に下られました。国土を拓き、産業を奨励 し民を慈しんだので命の徳に敬服し、族は鎮まり、その 子孫も東国にひろく繁栄され四世の孫奈良別王が第十六代 仁徳天皇の御代に下野国の国造となられて国を治めるに 当たり、命の偉業を偲び御神霊を荒尾崎(現在の下之宮) の地に祀り合せて国土開拓の神大物主命、事代主命を祀 られました。その後承和五年(八三八)に現在の臼ヶ峰に 遷座されました。以来平将門の乱を平げた藤原秀郷公を はじめ、源義家公・源頼朝公、下って徳川家康公などの 武将の尊崇を受けられました。古くは、延喜式内社、 名神大、当国一之宮明治になって国幣中社に列せられ、 「お明神さま」の名でひろく庶民に親しまれ篤く崇めら れてきております。宇都宮の町もお宮を中心に発展して きたので市の名も社号をそのまま頂いて頂いてきており市民憲 章にも「恵まれた自然と古い歴史に支えられ二荒の杜を 中心に栄えてきた」とうたわれています。

−社頭案内−